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バス炎上

2008年 06月 30日 (月) | 編集
バックパッカーが超距離移動をする際の主要な乗り物、それはバス。

ここはエジプト シナイ半島。

エジプトはアフリカ大陸のナイル川沿いに町があり、それと同時に、アラビア半島とアフリカ大陸の間にある紅海には逆三角形の形をしたシナイ半島があって、そこは世界的にもダイビングで有名な場所。 (聖地シナイ山があるのもここ)


ワタシはヨルダンから紅海をフェリーで渡って、違法入国の嫌疑をかけられながらも無事にエジプトに入った後(違法入国嫌疑な記事は こちら  )、

ダハブというこれまたバックパッカーたちが長期滞在する海沿いのちっさい町で、ワタシも例にもれずとても平和な時間を過ごした。



長期滞在をした場所から離れるのは結構寂しいもの。 いろんな人と出会い、別れた。 そんな人生のちょっとの瞬間を共有した彼らとの思い出を胸に、数週間過ごしたダハブを後にした。



一緒に移動したのは、その後、カイロでも砂漠ツアーに一緒に行って、これまた人生観を変える時間を共有した旅友の師匠。

この師匠、日本では高校の先生をして世界一周をしていた人。だから彼のことを師匠と呼んでいた。師匠とダハブ発カイロ行きのバスに乗った。 朝9時。 これから8時間の移動。


このバスに乗れたことは感動的だった。


日本でいう観光バスタイプで、左右2席ずつ。 テレビまで前方についているし。

クーラー調節だってあるし。

TVがあるから、各席にヘッドフォンの穴までついている。

各シート、照明までついているし。

リクライニングシート。




エジプトのバス、やるじゃん! 




それ以上に何がスゴイって、




それらは全部ぶっ壊れて、何も機能を果たしていない。


シートレバーは壊れているから、背もたれ倒せない、直角。

エアコンなんてついてない。窓がある。 ガラスは入ってない席が前方にある。 気の毒に・・・ 髪の毛砂まみれよ、あなた・・・  ああ、ワタシの席ラッキー、窓ガラス入ってるよ! でも暑いよ! はいてるズボンも汗でぬれてくるわよ!! 

以前はエアコンも入っていたようで、でもワタシの席のには噴出し口に紙が突っ込んであって、出ないようにしてあった。

多分、昔座っていた人が極寒で噴出し口をcloseしたかったけど壊れてて、それで紙突っ込んだんだな。 会ったことのない誰かに思いを馳せる。

ドリフのようなコントをTVで流していて、言葉が分からなくてもドリフっぽいドタバタをやっているのがわかる。


しかし、誰も見てないし。 聞いてないし。 笑ってないし。 音大きすぎて音割れている。



そんな楽しいバスに乗りながら、ワタシと師匠は一路カイロを目指していた。



砂っぽい海をバックに延々と続く砂とか砂利の風景。 ときどきベドウィン(砂漠の民)の人々のテントがあり、ああ、ここには緑もあって、オアシスがあるんだな、と分かる。



数時間後。 シナイ半島を沿岸1/3ほど来た頃であろうか。 カイロまでまだ3時間くらいを要する位置。




ワタシたちはバスの左側の真ん中ら辺に座っていた。

バスは時速100キロくらいで走っているか。

満席である。外国人はワタシと師匠だけ。


『・・・。 なんか・・・。 くさくない??』

うん、ワタシもそう思った。

『なんかくさいね。 何か燃やしたにおい・・・。』


なんやら人々がワーワー騒いでる。


2人して後部を振り返った。  


TVでやってたドリフっぽいコントどころではない。


現実にバス後部のエンジンから煙が出てるし!!!!!



『ちょっとちょっと!!!! 師匠!!!! 燃えてるよ!!!!』


火は見えないけども煙のにおいがハッキリと分かるようになってきて、後部座席の後ろから白い煙が出てきていた。


後部座席の人々が前に移動しながら運転手になんやら言っている。 後ろの子どもたちがパニックになって騒ぎ始めた。 オトナたちは何か叫びながら前の運転手に言っている。

『止まってくれ! 火がっ 火がっ 火事だ!!』 (推測)


ワタシの推測は間違っていない自信あり。



バスは周りに砂しかない幹線道路の路肩にバスを寄せて止まった。 ここ・・・ どこ・・ 砂と道しかないんですけど・・・




長くなったので 次に続く
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今夜から河口湖

2008年 06月 27日 (金) | 編集
今夜から大好きな仲間と、富士山のふもとで温泉、グルメな富士山合宿。

なんだかタイミング的に今、『みんなに富士山パワーが必要かも!』 と思ったのは1ヶ月ほど前。 親友ジョンコに温泉話を持ちかけた。 

ねぇ、みんなで富士山見に行かない? 

いろんな国を旅してきたけど、富士山はどの国にもないほど美しい。 いや、美しい、の一言では表現しきれない。壮麗、荘厳、というか。霊的な存在感がある。 富士山はすそを広げているのが、他の山とはまるで違うところ。


カラーセラピーやアロマセラピーの知識が豊富なジョンコと、
ストーンヒーリングやら石使いのエリンコ。

そ、そこにこんなフザけてばかりの私が挟まっちゃってていいのでしょうか・・・。

このメンバーといると、自分に自信という大きなエネルギーをもらえる。 今夜から燃料満タン合宿です!


今夜は仕事が終わったらBダッシュでジョンコ地元駅に行き、そこからジョンコ愛車マーチ号を走らせる。 河口湖近くにある、家族で経営しているというペンションが2泊する宿。


河口湖--

それは温泉

それは富士山

それは富士の氷穴

それはほうとう

それはオルゴールミュージアム

それはハーブフェスティバル

それは御殿場アウトレット


樹海ネイチャーツアーとかも興味あるんだけど、雨が降ったらイヤだし、すでに予定が盛りだくさんなので今回は見送るかなー。 こちらも行きたいんだけどなぁ!


盛りだくさんな自然パワーをまたカラダに入れてくる^^


おかげでね・・・ 会社に持ってきた旅行バック(大量のおやつ入り)と、一眼レフも入った手提げカバンが重いんですが・・・。


これからお手製マップル作成します! 写真撮ってきたいなー

女性器切除、廃止の動き

2008年 06月 25日 (水) | 編集
女性性器切除(FGM)をされる少女はアフリカ全域だけでも、29カ国で約1億3500万人が受けていると推定される。

つまりこれは、毎年約200万人、毎日約5500人が受けているということ。 

アフリカ大陸全域の女性3~4人に1人は経験者ということだ。

  

                          世界保健機関(WHO)推定



死産防止、結婚相手としての価値向上、女性の性欲を抑制などという理由、そして村落で長く続くしきたり、風習、文化として続けられている、女性の性器切除。

クリトリスを切ってしまうだけでなく、ときに性器全体を、カミソリ、ガラスの破片、缶詰のふたで、

しかもそれは麻酔も消毒液もない状態で、今、この瞬間にでも行われている。




これをその土地の習慣、しきたりとしてあるがままにさせておくべきなのか。 それとも、健康を脅かし、死に直面するような 『無意味な野蛮行為』 として先進各国が廃絶運動を続けるのか。

それを今、このブログで討論することはとてもじゃないけどもできないけども、少なくとも【知る必要がある事実】だと思います。


ぜひ前回の記事 こちら  からお読みください。



エジプトのサハラ砂漠キャンプ。 まさかこの夜、砂漠の民 ベドウィンの男性ガイドから、女性性器切除(FGM: Female Genital Mutilation。以下FGMと表記します) の事実をナニゴトもなく聞かされるとは思っていなくて、

今まで火を囲んでエジプト、韓国、ニッポンのシモネタトークで大笑いしていた時間が一瞬で凍りついた。

前回までの記事で、FGMの 実状、理由、後遺症について話しました。


これを単なる伝統で容認するのか? それとも野蛮な因習として廃絶させていくのか?


現在、世界的には廃絶運動をアフリカ各国に対して起こしている。

参考図書: 
子どもたちのアフリカ―“忘れられた大陸”に希望の架け橋を /石 弘之 



◆ FGM廃絶への高まり

世界的に関心が高まったきっかけは 『国連女性の10年』 で、1975年から10年、欧州各国を中心にFGM廃絶キャンペーンをおこし、アフリカの容認派 vs NGOや国際機関  の論争が続く。

1990年代に入り、もっと世界的に関心が高まり、廃絶運動に対する国際的な支援も集まって、国連女性会議でも

『FGMは女性への暴力、健康破壊、人権侵害、女児への悪習である』


と決議された。



1990年代って私がちょうど、中学生、高校生のとき。 

私がもしアフリカに生まれていたら、選択権なく、当然のごとく、FGMを受けさせられていたわけだ。 その頃、やっと国連だのNGO団体が 『それおかしくないか?』 と言っていたわけで。


たんに、『私は日本に生まれて良かった』 と言えない私がここにいる。 

ラッキーなんかですまされるものであっていいのだろうか、人権って?



◆ 法の制定


各、国際機関、現地でのNGOの活動、国際決議により、やっと、そう、やっと、2000年以降、アフリカ各国でも法律でFGMを禁止する国が増えてきた。


2003年現在、

1994年 ガーナ
1995年 エチオピア、 ブルキナファソ、 ジブチ
1997年 コートジボワール
1998年 トーゴ、タンザニア
1999年 セネガル
2000年 ギニア
2001年 ケニア、モーリタニア
2002年 マリ
2003年 ベニン、チャド


14カ国(/29カ国)。 でもこれまでFGMを行って逮捕された例はほとんどない。


結局、政府自体も、法的規制には抵抗があるから!!!!


ここまで読んでくださっている方々ならお分かりの方もいるでしょう。



理由--

その村落で女性はFGMを受けることが当然、という慣習をかたくなに守ってきた人々を、法律という特にアフリカで意味をあまりなさないもので、廃絶することは到底無理な話だから。

実際、ケニアの建国の父で人類学者の元ケニア大統領、故ジョモ・ケニヤッタも、彼の自叙伝の中でこう言っている。

『FGMはキクユ族の重要な通過儀礼で、この廃止は部族のアイデンティティに関わる』

そう、どこまでもどこまでも根深いものがある。


事実、女性自身も"被害者" という意識は低いのだ。

だから現地NGOは

『なぜそのような法律が人々のためになるのか』

という理由を知ってもらう、教育キャンペーンを行っているのです。


女性が意見、主張を持ち、教育を受け始めたら面倒なことになるのは男性。 今のまま女性は奴隷のごとく働き、人権を持たせない方がラク。

他国が騒ぐ現地の 『それはおかしい』 なんてこと、現地の男性がそれを人権うんぬんという思想の元に下に変えていくのかどうか、相当疑問は残ります。




女性割礼の事実

2008年 06月 23日 (月) | 編集
いったいどこまで続くのか。 考えることが無意味に思えてくる、このサハラ砂漠。静かな大地に直接座って無機質な砂の温かさを感じる。


風は静かに頬をなでるけど、

そこに草も木もないけども、


目の前で薪が燃える音と炎。それを感じる熱。 今、私がこの広い地球で存在しているということを思い出させてくれる。

そんな夜を過ごしたエジプトの砂漠キャンプで、砂漠の民、ベドウィンの男性から私は衝撃的な言葉を聞く。


女性割礼。

女性の性器を切除するということ。




『クリトリスを切っちゃうんだよ。 女性があまり感じすぎないためにね』


さっきまでみんなで話していた同年代の20代が話す普通のシモネタから一気に目が覚めた私。 聞いたことはあったけども、直接聞いのはこれが最初だった。

笑いながら話す、その事実にショックを覚え、そして最近読んだ本でその実態をさらに知った。

前回の続きです。 ぜひ こちら  から読んでいただきたいです。


最初に申し上げると、私は人権団体とか、なんとか協会とか、そういう活動家ではないのと、この分野の専門家でもないです!
あくまで私が経験した内容と、読んだ本から引用した事実を、個人ブログのイチ記事にしているだけです。


内容訂正、コメントがあったらぜひ残してください!


参考図書:

子どもたちのアフリカ―“忘れられた大陸”に希望の架け橋を

砂漠の女ディリー



◆ 女性性器切除の実態


広く世界に知られるようなったきっかけは、1998年に出版された元スーパーモデル、ワリス・ディリーの自伝、『砂漠の女ディリー』  が各国で出版されたことだった。


ソマリアの砂漠の遊牧民であった彼女が、ラクダ5頭の為に60代の男性と結婚させられそうになったことから逃げ出し、その後数奇な運命をたどり、スターダムをかけあがり、一流スーパーモデルまで上りつめる半生を書いている。


そこに書いてある彼女の生々しい表現がスゴイ。 彼女はクリトリスだけではなく、女性の性器全部を取られている。



『(切除直後の)次の排尿のときまで、私は苦悶のときはもう終わったと思っていた。(略)

最初の1滴が出てきたとき、皮膚が酸に溶かされたような痛みが走った。性器を切り取って縫合した後には、マッチ棒の直径ほどの小さな穴が2つ開いているだけだった。 (略) 

このすばらしい方策のおかげで、私たちは結婚するまでダレともセックスできない。夫となる人は、処女を保証されるというわけだ。』




彼女が書いているように、女性器切除の方法にはいくつかある。世界保健機関(WHO)が分類しているのは4つ。


1.クリトリス切除方式

クリトリス全部と小陰唇(膣周りのヒダ)の一部、あるいは全部を切除。広く一般的に普及、全体の80%がこの方法。


2.スンナ方式

クリトリスの一部、もしくは全切除。切り込み。全体の5%ほど。


そして一番痛々しいのが、ディリーも施術された、


3.外性器縫合方式

クリトリスと小陰唇切除、大陰唇の内側の皮膚をそぎ落とし、穴2こを残すのみ。見た目はのっぺりする感じ。 全体の15%だが、女性の心身への影響は一番大きい。


4.その他

赤ちゃんの処女膜切除等。



しかも驚くべきことは、施術するのは村の助産婦がするのが主であるが、そのほか先輩女性、鍛冶屋、床屋、長老が行ったりで、そのほとんどが麻酔も消毒もなし、さらにカミソリ、ナイフ、ハサミ、ガラスの破片、缶詰のふたなどで施術するのだ。
これは村のしきたり、慣習、信仰が複雑に絡み合って、ずっと長い間続いてきたもの。それを批難するのは、もしかしたら先進国の人間の異文化に対しての圧迫かもしれないけども・・・

そこについてこのブログ上で議論することはとてもじゃないけどもできないし、私もハッキリと意見が言えるわけではないので、今回の記事ではその部分より、まず事実を伝えたいと思っています。


◆ なぜ女性割礼は性器を切るのか?

男性の割礼とは、たいてい男性器の皮の部分を切り取るだけ。しかし女性の場合は、感じさせなくするために切ってしまうわけです、クリトリスを!性器自体を!! (缶詰のふたで!!!!)

この女性器切除は地域、部族により意味づけが異なっている。



1.女性や子供の健康のため

性器の衛生保持 
死産防止
女性の健康増進(ウツやヒステリー防止)



2・女性の価値向上

処女性と貞操を守る
結婚相手としての価値向上
女性の性欲を抑制
成熟した女性としての慣習



死産防止って意味がわからない!!!

結婚相手、って女性はモノ?? ・・・ いや、ここはアフリカ・・・。 

女性は男性の財産の一部だ。 

ニッポンオンナがここでワーワー言っても何も始まらない。 何もかも、女性は男性のため、男性のもの。


さらに驚きなのが、このアフリカ、やはり教育の重要性を痛感させるのが、



『男性器がクリトリスに触れると腐ってしまう』

『出産時にクリトリスに赤ちゃんが触れると死ぬ』

『切除しないと妊娠できない』


とか、


もう、何でもかんでもオンナが悪いわけで、確かに、病気も悪霊の仕業と思っていたり、処女と性行為すればエイズは治ると思っているような思想の中で、とにかくこの瞬間にでも、女性はベルトコンベア式に性器を取られていっているのである。



◆ 後遺症

出血、感染症などの身体的後遺症が残るのは容易に想像できる。しかし私が本を読んでいて血の気が引いたのが

結婚初夜の初行為。 男性がムリヤリそこに入れてくる。


著者自身も実際、エチオピアの奥地の農村に泊まっていたとき、夜、すさまじい女性の叫び声が聞こえたらしい。女性が激痛に耐えているのだ。 男性自身も、うまくいかないとのちのちまで軽んじられるため必死なのだと。


この話を友人に話した。

『アフリカは今でも暗黒大陸だよ。 今世紀ですべてが解決できるほど簡単なことではない。 おまえが1日、2日で変えられるところではないよ。』


哀しいけども、実際その通りだと思う。  彼は私がこの分野にガッツリ入りこんでしまうことをちょっと心配していた言葉だった。

貧困、民族紛争、戦争、犯罪、政治、経済、エイズ、厄病、教育、 何もかもが絶望的に絡まりあい、アフリカの子供たちは、たとえ生き延びたとしても、違う問題に次々へと直面していく。


女性の未来はもっと暗く危険にさらされている。 この本には、さらにアフリカの子供たちが直面してる、もっと複雑な問題が書かれていて、私は本当に空虚な気持ちなるとはまさにこのことか、と通勤電車の中で何度も本から顔を上げた。


次は、この女性性器切除の世界的廃絶運動について書いてみます。

次へ続く

女性割礼

2008年 06月 20日 (金) | 編集
女性の一番感じるところを切ってしまうんだよ。

一晩で7~8回もするから女性が感じすぎると疲れるからね。



この衝撃的な言葉を聞いたとき、一瞬、わが耳を疑った。 エジプトの砂漠でキャンプをした夜。


その砂漠ツアーは私と日本人男性2人と、韓国人男性1人、そして砂漠の民と呼ばれるベドウィンの男性3人がいた。

空には星座が分からないほどのキラキラ光る星空。みんなで炎を囲みながらキャンプファイヤーをして火の暖かさを感じる。お茶を飲みながら、同い年くらいの私達、歌ったり、笑ったり、国境を越えた修学旅行のよう。

たくさん笑っていた私たちだったけど、ベドウィンの彼が言った一言でその火の暖かみも感じなくなった。


昔、聞いたことがある。


女性割礼。



女性の感じるところを切ってしまうって?

どういうこと??


私は思わず、彼らに質問を投げつけた。


『ええ?切るってなんで切っちゃうの??』

切るって、あの部分ことだよね?

『だって、一晩に7回も8回も行為をするからさ、女性があまりに感じすぎると疲れちゃうでしょ? 』


絶句。 言葉につまる。 英語が理解できない日本人旅人2人に日本語で説明する。

『ええーー??!』 

彼らからも驚嘆の悲鳴に近い声があがった。


『だって、感じるってそれは、人間として当然の生理現象じゃない? 性行為なんて片方だけの意思でするものじゃないし、女性だってしたくないときあるし』


女性の権利、主張はどうなるの?

感じすぎるから切る、って、それっておかしい!


『それと、結婚する男性だけと行為をするためだよ』


『そんなん、相手が疲れたら性行為は終わりだよ。 女性にとって楽しくもなんとも無くなるじゃない』


そして気が付く。


女性の人権? 女性の意見? 女性の主張? 

そんなんこの世界には関係ない。 男性至上主義の世界。


あまりに興奮して、思わず身を乗り出してベドウィンのガイドとしゃべる私の姿を見て、日本人2人もただならぬ会話をしていることを察する。


説明をする。


先進国と呼ばれるニッポンから来た一介の独身女性がここ、サハラ砂漠のこのホンの1つの場所で、満点の星空の下、


『そんなん女性はモノじゃないんだよ!意思のある人間なのに、男性のセックスドールみたいな扱いしてヒドい!』

ベドウィンのオトコたちは笑っているだけ。


こんなん私がここで騒いでいようと、まさにサハラ砂漠に一握りの黒い砂をまいてもまったく変わらないのと同じようなこと。 



何もまったく変わらない。

あまりに衝撃的なことを直接聞き、私は急いで忘れないうちにメモをした。 




そしてニッポンに帰ってからネットで調べたり、本を読んだ。


子どもたちのアフリカ―“忘れられた大陸”に希望の架け橋を子どもたちのアフリカ―“忘れられた大陸”に希望の架け橋を
(2005/04)
石 弘之

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実際、今とてもアフリカに興味があります。 次の旅の前にある程度の数字的知識を入れておきたい。そこには私が今まで想像をしたこともなかった女性割礼の実態について詳細に書いてありました。


かなり内容があるので、続きはいくつかの記事に分けて書きたいと思います。 先に1つ言うと、これはイスラム教オリジナルの習慣ではありません。


先に結論を言うと、本書いわく、


【 ある時代にはじまった処女信仰が、アフリカのイスラムの浸透と共に広がり、さらに土着の慣習となって宗教を越えて根付いたのではないか 】


著者は言っています。


実際、イスラム法学関連の書の中で、預言者ムハンマドが女性割礼を受け入れるような解釈をしているものもあり、だからイスラム信仰と共に広まったのかもしれない。


一方、同じイスラム圏でも実施していない地域もあるし、反対にアフリカ大陸ではキリスト教、コプト教、ユダヤ教(エチオピアの一部) でも実施しているという。



割礼(切り方)でもいろいろとあり、その前に驚いたのがあんだけ普通によく見かけたエジプト人の女性でも90%以上の人がこの処置を受けている。

アフリカのある地域は、女性の性器自体を全部取って、皮膚は引きつれ、そこに小さい穴が2こ開いているだけ、と。



読んでいて倒れそうになる。


最近では野蛮な行為として廃止運動も高まってきているけども、女性自身には被害者意識はあまりないということで、最近いろいろと調べたりしたので、次にその現状とかを書きたいと思います。


女性割礼の真実 へ続く

シリアの片隅で

2008年 06月 16日 (月) | 編集
画像が鮮明じゃないのでウェブのPhoto Galleryには入れていませんが、個人的に気に入っている1枚があります。

CIMG3078syria.jpg



シリアとトルコの国境の町アレッポ。 スーク(市場)でブラブラと買い物をした後、奥の出口から出たら道に迷ってしまった。 

中東の町は石造りでできていて、持っていたガイドブックも地図の役目を果たさずただの荷物。 
一緒にいたのはアメリカからの旅人。迷路のように入り組んでいるスークに入ったが最後、帰るにも帰れない。


とりあえず太陽の位置を見ながら東西南北だけはなんとなくわかる。 それでも役立たずの地図を広げていたら、そこに子供が来た。


ジッと私たちを見つめる彼ら。 外国人がめずらしいのかな。 ニコリともしない。 女性と親しく話してはいけない、と教え育てられているのかな。

『えっとね、大きな時計台のある広場に戻りたいの。 道わかる?』

アラブの国は町の中心は広場のようになっていて、そこには時計台があることが多い。 私は英語で話しかけたが、同時に腕時計を指差し、その次に両手をアタマの上で広げて円を描く。

時計が、大きくて、塔になってるの!

幼稚園でのお遊戯のようなジェスチャーで伝えた。 分かってくれているのかな。 子供たちはその私の様子を見ていた。 通じているのか定かではない。

彼らは歩き出した。 何度も振り返る。 来い、と言っているよう。 この際、どこに歩いていいか分からずボンヤリしていたアメリカ人と日本人、今は小さな彼らの手に運命をゆだねるのが一番だろう。 私たちは彼ら小さなガイドにくっついて歩くことにした。

彼らは全然しゃべらない。 ときより、子供たちにくっついて歩く外国人2人の姿を見て、石畳の街中の人々がお店の中から話しかける。

途中でミカンをくれた。 乾燥しているこの国では、1つのミカンがのどを潤すに時間はかからない。

パンをもらった。 フカフカの焼き立てパンだ。 顔の大きさくらいある、薄焼きパン。

そんな人々に ありがとう! と日本語で言ってお辞儀をすると、彼らもすごく喜んでくれる。日本の言葉とお辞儀は私がいろいろな国に行った中でも、とても喜ばれる動作の1つだ。


子供たちと多分2時間くらい歩いただろう。 なんだか見覚えのある広場が見えてきた。 長い冒険を終えて晴れ晴れと戻ってきた感覚だ。

見知らぬ街を探検して、宝物探しのように人と出会う。 見たことがない店を覗いてきた。 そのたびに子供たちは立ち止まって時間をくれ、お店の人と話していた。

小さなガイドは決して私たちにフレンドリーというわけではなかったけど、その彼らの静かにヒッソリとした瞳が好きだった。 

思い入れのある1枚です。

ヨルダン怒涛の移動

2008年 06月 12日 (木) | 編集
ヨルダンは中東アラビア半島の紅海側に面している長細い国で、イスラエル、パレスチナ暫定自治区、サウジアラビア、イラク、シリアと国境を接している。ヨルダンに行くことはアラビア半島を旅した中でもかなり楽しみにしていた。アラビア半島の世界遺産3Pの1つと言われるペトラ遺跡(他にはイランのペルセポリス遺跡、シリアのパルミラ遺跡)はヨルダンのハイライト。

まずヨルダンの首都アンマンからペトラ遺跡(以下ペトラ)への移動をしなくてはいけない。アンマンにある有名な安宿で情報をもらってから、宿の前からバスに乗る。『バスセンター、オーケー?』乗ること20分、朝10時頃バスセンターに着いた。

宿でアラビア語で書いてもらった紙を握りしめている。

『ペトラへバスで行く方法を教えてください』 

広いバスセンターで働いている人らしき男性に紙を見せた。指定のバスのところへ連れて行かれる。本来ならバス20台は止まるであろう広大な駐車場に、しかし全然バスは無く、その付近には待合室もなければ、たたずむ人の影もまばら。

『バスっていつ来るの?』

掃除をしていたおやじに聞いた。

『人が集まったら出発だよ』

髪の毛を出しているアジア人をあまり見慣れていないのか。これでもか、というくらい直視しながらおやじは言った。
そう、中東には"人が集まったら出発"っていう相乗り的なバス、タクシーがかなり多い。日本では考えられないアバウトさ。旅っていると『仕方ない』という気持ちになってくる。

『もしかして午前中にもう1本出ちゃった?』

『15分くらい前に出ちゃったばかりだよ』

おいおい! 宿でゆっくりコーヒー飲んでいる場合じゃなかった! バックパッカーで旅をしていると移動には多くの時間を見積もる。でも直前に行ってしまったとなれば話は別。本日の予定はすでに見えた。移動のみになるだろう。やむなくそこで一人たたずむ日本人オンナ。重いバックパックを置いて縁石に座り込む。先ほどからの凝視攻撃ももう慣れた。それくらい時間が経てども、誰一人として現れない。

しばらくして違うおやじがやってきた。

『ペトラに行くんだよね?あっちのバスで行けるよ』

私が旅行者とわかったからか親切にもバスのところまで連れて行ってくれる。旅をしていると 『え?どうしてこの人、私が必要としていた情報がわかったんだろう?』と思うほど、助けてもらうことが多い。こうして旅が続けられ、そうして心の底から人の親切に感謝をする、その連続。

砂漠の夏、気温はゆうに40度近い。この暑い中、冷房もかかっていないバスに乗り込む。バックパックは後ろの荷物入れに詰め込まれた。バスと言ってもバンのようなもの。待つ。汗が止まらない中ひたすら待つ。お尻の辺りも汗でズタズタにぬれている。

あと2人乗れば出発だよね?既にバスセンターについてからかれこれ4時間は経過してるっての! おケツも4つに割れる寸前である。

そこへ1人の女性が乗ってきた。驚くくらいド派手な化粧をした女性。推定50歳。アタマに巻いているスカーフもがらもの。緑のロングドレス的な洋服を着ている。爪は長くて真っ赤。言うなれば白雪姫に出てくる意地悪継母な感じ。

すごい女性もイスラムにいるなぁ。でも金持ちならこんなバス乗ってないよね? 何者だろう。彼女が私の隣に座った。香水はキツいし、車内はサウナでダブル攻撃だ。

ようやくバンが動き始めた。暑いので窓を開けると埃が入ってくるし、眠いし、暑い。1人喜劇を繰り返していると、そのオバサンが話しかけてきた。キレイな英語を話す。

『1人で旅行しているの?』

『そうなの』

おぉ!オバサン、見れば見るほど、見事なまでのワシ鼻に京唄子のような大きな口。こりゃ、白雪姫の魔女だ、魔女!

『ヨルダン好き?』

『すごく好き。思っていた以上にいい国だったわ』

彼女はなんとイタリア人女性。ヨルダンでオペラ歌手をしているのだと言う。それでこれまた驚いたことに、ベドウィンと呼ばれる、つまり"砂漠の民"出身のヨルダン人と結婚して田舎で暮らしているらしい。自家菜園をしたり、ヤギも飼っているのだとか。その真っ赤な爪で本当に家畜の世話をしているの?思わずつっこみそうになった。

彼女は私と話していて、忘れていた何かを思い出したようだ。

彼女の話は、現場の生の声と言うこともあり興味深いことの連続であった。イスラム世界にイスラム教徒じゃない女性が嫁ぐことの大変さ。ヨルダンのような砂漠の国で住むことの現実や反対におもしろいところ。とにかくその文化の大きな違いの中に飛び込んで嫁いだ気持ちを語っていた。何より大変なのは、女性の権利、存在、価値が低いということ。完全に男性優位社会なため、そこで彼女は壁にぶつかることが多いと。それでも彼女はこのスロウライフが気に入っている。

彼女の旦那さんはペトラ遺跡関係の仕事をしているため、いわば田舎暮らしをしている。彼は彼女と結婚する際、1つ約束ごとをした。

『キミが仕事をすることを賛成するし、イタリアにも帰っていい。僕の友人にも紹介する』

女性は奥に控えて表に出ない習慣のイスラム文化ではなかなか驚く約束である。彼女のおかげで4時間のバスの旅は少し涼しく感じた。ペトラでバスが止まる。

『もし助けが必要になったら電話して』 

彼女は携帯番号を差し出した。砂で煙るペトラに住む旦那の元へ歩いていった。

首長族/ブログトップ画像

2008年 06月 10日 (火) | 編集
今、こちらのブログのトップ画像は首長族の少女たち。

001.jpg


小さい頃に毎週正座をして見ていたTV番組 『なるほど・ザ・ワールド』 (←もはや知ってる世代は少ないのだろうか。まことに残念である。)で彼女ら首長族という存在を知り、

『いつか!いつか絶対会いに行く!』

とアツく誓ってから、その機会は25歳のときに訪れたのであった。


しかしこのリング、本当に重い! 悟空が修行で手足におもりをつけているのと同様、取るとどす黒いアザがある写真を見て、

『蚊に首をさされたらどうかくんだろうか』

とか、

『海とか川で泳いだらおぼれるよな』

とか、

『というか、私はあの・・・ 首は金属アレルギー持っててカイカイになっちゃうんだけど』

とかいらぬ心配をしたのだけど、で、彼女たちに 『気にならない?』 と聞いたら、

『気にならない、重くも感じない』

悟空と同じことを言っていた。



この女性たちもときにリングの中にある長くなった首を洗うらしい。 えーー! それはどうやってどうやって? 興味がわく私。

彼女たちが見せてくれたのは、まず葦を持ってきた。 それをバケツに入った水につけて、その葦をリングと首の間に入れて、上下に動かす。 以上だ。

細い棒っきれを上下に動かして水でぬらす。チンパンジーが細い棒を蟻山の巣に突っ込んで食べているけど、そんな要領である。なんとも分かりやすい。

ちなみに家にあった枕は昔の殿様が使うような高いもので、そこに首から上を置いて眠るのだと。

Photo Gallery更新しました

2008年 06月 09日 (月) | 編集
ウェブのPhoto Gallery、写真を新たにアップしました!


こちら→ Photo Gallery - Children


ここのブログ、私のウェブサイトの一部でして、ウェブの方には私が各旅で撮ってきた写真を載せています。(ウェブは右上のタイトルをクリックしてみてください)


今回はタイ、シリア、エジプト、トルコで出会った子供たちの写真がメインです。子供たちの笑顔に出会うとき、旅のカラダも心も疲れているのが一気に吹き飛びます。

いろんな国で見せてくれる、子供たちの笑顔、そのために旅をしているといっても過言ではないし、それだけの価値があると思う。

世界の幸せは子供たちの笑顔に比例するんじゃないかな。


世界一周に出たら、現地からオンタイムでアップしてまいります!

初の印税

2008年 06月 05日 (木) | 編集
2月に共著であるが本を1冊出した。その印税が先月晴れて入金された。

この10本の自分の指でキーを叩いて文章をひねり出し、その結果、本と言う形で世の中に出て、その結果お金をいただいたわけだ。 
それは某芸能人の幼少貧乏記に対する印税に比べるに値しない額なのだけども、やはり入金されているのを数字で見たらとてもうれしい。 小さいときに自分が作った和紙を貼り付けて作ったきれいな箱が、児童館のバザーで売れたときの、あの 『やったぁ!』 という喜びに似ている。今、働いている会社の給料とはまったく違った感動だ。

実際、自分の経験談とか恋愛トーク中心の本であっただけに、私のミジンコレベルな恋愛談を人様に読んでいただけただけでもう、恐縮盤面である。


最近はとある企業さんのウェブサイトに横浜紹介の記事を書いて欲しい、と依頼があり、休みの日にみなとみらいへ取材に行った。

1つ1つテーマにそって街を歩くのだけど、まったくもってこのみなとみらいは一体何人の男性デートしたことか! すでに思い出がごちゃ混ぜになっているが、酸いも甘いもこのみなとみらいにはある。どの映画館にはアノ男性、ここのカフェではコノ男性と記憶がよみがえる。もはや みなとみらい=私の青春という感じ。 私の青春はどんだけはかなく散りつくしたのか、と思う。

話しが脱線したが、そのみなとみらい取材をした後、夜になって記事を2本を書き上げた。締め切りはあさってだ。明日、もう一度校正したいから、今日中に2作書き上げたい。

『どうしよう!間に合わない!!』

明日はAERAの記者さんとカメラマンがわが部屋に撮影に来るため、この週末は部屋掃除にあけくれた。そのおかげで取材に行く日が1日延びてテンテコマイである。 とりあえず目に見えるものはクローゼットの中に封印したが、今度それらを改めて片付けなくちゃいけないと思うと、まずは先にDSのドラクエでレベル2つあがってからにしよう、と目をそむける。

その中でもやっぱり執筆していくことは私の中で楽しいことであり、これからも続けて行きたいと思っていること。世界一周に出たら写真を撮っていくが、帰国後は文章を書くつもりでいる。

旅中も執筆は続けていくつもりだ。しかしその前に私はやってみたいことがあった、それはエッセイ、ライター養成講座に通ってみること。 
やはりプロの人に文章の書き方、表し方を教えてもらいたい。大学でジャーナリズム論の講義を出欠が厳しいという理由で選択しなかった自分のアホさが悔やまれる。

それでさっそくインターネットで調べ資料請求をし始めたのだが、講座を見つけるたびに今度は落ち込む私。


た、高い!どれだけブルジョワ講座ですか! 世界一周資金を貯金中の私にしたらシンドい・・・!!


安いのは通信講座ばかりで、でも通いにするとやっぱり高い!



続きは、次の記事に続く

AERAに載りました

2008年 06月 02日 (月) | 編集
6月2日発売のAERA(/アエラ 朝日新聞社発行)に私が写真入りで掲載されています!

ロスジェネ「一発転身」

希望の仕事につけなかった世代の楽天的な夢追い


(6月9日号は こちら で購入できます)


2008年の運をここですべて使い果たしたかも、と内心ビクビクしながら今朝、電車に乗る前にキオスクで1部買い、超満員電車の中でコソコソ読む。 ぬあっっ! この角度で写真が載ったか! ドレッサー前、もっと片付けておくべきだったか! 今更後悔しても後の祭り、自分の部屋をニッポン全国にさらしてしまった。  

・・・というか、ダレもそこまで詳細は見てないよ、自意識過剰もはなはだしいよ、知代子さん! と言われそうだが、確かにごもっとも。 

前日2日かけて夜中まで大掃除をしただけあって、とりあえずの見た目は良くなったけど、その後、どこに何を隠しこんだか覚えておらず、おかげで違う意味で汗を流すこととなった。



そういえば取材を受けたのはここに引越しする前に書いていたブログがきっかけで記者さんから連絡があったのだけど、それが今回2回目の取材につながった。 

2回目に連絡をいただいたとき、『やっぱりまた会えた!』 と思ったのが最初の印象。 1回目のとき『この記者さんとは必ずまた会う気がする』と強く思っていたので、それが現実化して嬉しかったのを覚えている。

この記者さんはさすが新聞社に勤めているだけあって、頭の回転がとにかく速い。会話がどんどん続く。1つこちらが発言すれば、そこから質問がポンポン出てくる、永遠に続く卓球みたいなスピードとテンポ。


今後は文章を書いて、発信していきたい私としては非常に勉強になる時間でした。


そう、AERAにも書いてあるのだけど、こちらのブログに引越し前に書いていたブログがきっかけで、以前1冊本を出している。 

そのつながりである企業さんのウェブにコラムを書く機会をいただいたり、今の世の中、ブログという媒体が持つ影響の大きさを痛感する。世界一周に出てもブログも書き続けていくし、同時にエッセイを書きためしていくつもり。 
今は一眼レフで、撮りたい雰囲気を撮れるようになって来たし、来年出発の旅にむけてもっと練習していかなくては、と思う。

余談ですが、今のウェブには過去のブログの全記事を引越しするのではなく、徐々に上げていくつもりなので、まだたくさんの記事がないことを、先にお詫びします。


それにしても今朝から携帯にメールが届きっぱなし!

AERA読んだよ、と言う人や、ホームページ見たよ、という同級生や社会人友達。 だけど、何より驚いたのが、以前2ヶ月だけ働いていた昔の会社の人からメールが来たこと! 正社員雇用で転職活動をしていたその間に、2ヶ月間だけ派遣として働いていたのだけど、その会社で同じチームだった人からの連絡が来た。 すでに1年半前に辞めているのにこれには驚いた。 It's a small world ! 

この会社で働いた期間は短かったが非常に楽しかったのでうれしかった。正社員雇用であればきっと今でも働いていただろうけど、でも同時に思うのが、今ブログを書いていることはなかったかな、ということ。なぜならルーティンワークの中、自分の創造や空想を広げる精神的余裕や、時間の余裕はなかなか生まれなかったと思うから。 


そう思うと、過去3つの職場で働いたことや、大学で学んだことはすべて結果的に今あるべき場所につながっていたのかな、と遠回りながらも必然だったのかな、と思える。


気がついたら今のところに自分が立っていた。両親、友人たちのおかげ。 いつもいつも、みんな、心からありがとう!!!

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