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ハチに刺される

2008年 05月 31日 (土) | 編集
空港を出たとたんムッとする空気に包まれる。 『ああ、また来これた!』 という気持ちになる。埃と喧騒に出迎えられて次の移動手段を探そうとする前に猛烈な客引きが来る、ここはタイのバンコク。 


街中の溢れる車の洪水、衛生的とは言いがたい屋台、どこからともなく漂ってくる独特のにおい、どこかにあるワット(寺院)から聞こえてくるポッポッポッ・・・という木魚のような音、その寺院の中にある高い木々からさえずる鳥の声と木のざわめき、仏教と国王を純粋に尊敬する人々の温かさ。


私はタイという国をものすごく愛している! きっと日本人だけでなく、多くの外国人もあの国の独特の雰囲気が好きな人は多いはず。


社会人のため毎回10日間~2週間くらいしかバックパッカーで回れないのだが、それで私も社会人2年目のときに初めてタイという国に行って以来、その後結局、合計3回行った。 毎度海外に行くときは必ずテーマを持っていっている私。 それは2回目のタイに行ったとき、そのときは

"山のトレッキングと世界遺産スコータイ遺跡"

というもので、バンコクより北部を回るため、バンコクに着いたその日にチェンマイへ飛行機で一気に移動した。


宿に着いてから2日後から行けるトレッキングツアーを申し込む。 山を歩いてトレッキングをしながらゾウに乗ったり、いろんな村を通り抜けて、1泊2日でナンチャラ族の村に泊まりましょう、みたいなツアーだ。

なんかアドベンチャーっぽいし!私が小さいときから何百回と見続けている映画、グーニーズのようなドキドキワクワク体験なのね! どんな村に泊まれるんだろう? どういう人に出会えるんだろう? タイに行く前から期待をしていた。

チェンマイの宿、朝になってピックアップトラックが迎えに来る。屋根付きの荷台に乗り込む。 さしずめディズニーランドのジャングルクルーズみたいな屋根だ、私が最後に乗った参加者で、今回のツアーはほかに

タイ人ガイド2人、イスラエルかっぽー、ドイツ女性、フランス女性、カナダかっぽー(これ弁護士と検事のかっぽーだった。でもケベック出身のため全然英語通じず)、イギリス男性、オランダ男性、そして私のパーティである。



さて、そのピックアップトラックの荷台にいろんな国からのバックパッカーたちが一堂向き合って乗っていて、私は隣にいたイギリスオトコのテリー君といろいろと話していた。彼は東南アジアからオーストラリアに渡り、その後南米を回る旅を予定していて、タイはまず1発目の国、まだ滞在3週間目くらいのときであった。


そんな話をしていたら






     ブゥ~~~~ン







と、ハエが私の顔の周りを横切った。


手で払う私。 




     ブゥ~~~~~ン






アタマの後ろに行ったハエ。


じゃまだなぁ、、 右手で首の後ろ辺りをフリフリ、とし、追い払おうとしたそのとき、首の後ろにちっさい石が飛んで来てぶつかったような衝撃を受けた。




イデエェッッッ!!!!!!!


ガタガタボコボコ道を荷台の屋根の骨をつかまって乗っているが、後部もサイドも吹きさらしである。石がぶつかった、と思って手で首のところをさすろうとしたら、


石が・・・ さ、刺さってる???

手にトゲみたいな感触があった。


・・・。 トゲ?  ナンダコレ??



私 『ねぇねぇ。なんか痛いんだけど何か刺さってない?』

ビックリしてテリー君に首を見せる私。

テリー 『ウォッ!蜂のハリが刺さっているよ!!!!』


蜂に刺されたんだ、私???!!!!!!


どうりで痛いわけだ。その前に、ハチに刺されたらおしっこをかけろ、と小さい頃教えられなかったっけ? いや、今こんなところでそんなことはできない。 というか、私が今持っている薬を言えばメンソレータムしかないよ! マキロンないよ! どうしよう!!

テリー君が針を抜いてくれた。 その直後から猛烈なかゆみに襲われる私。 その後数分もしたらテリー君が

テリー 『赤くなってきてるよ』

と言って、どうも首全体が赤くなってきたらしい。 そして刺されたところは明らかに


500円玉2枚くらいの大きさに腫れてきた。



          チーーーーーンな気持ちに落ち込む私。



少ししたらクルマが止まった。これからはこの山をトレッキングして越えるぜ!の前にランチがあったのだけど、タイ人ガイドに言ったらタイガーバームをくれた。

ちなみにタイでは 『虫に刺されてかゆい』 と言うと『タイガーバーム! タイガーバーム!』と言われ、『かゆいときにはタイガーバームだ!』、と言われる。 蜂に刺された私も例に漏れずガイドにタイガーバームをもらって塗りまくったが、全然効かない。


テリー君 『でも、針が体内に入らなくって良かったよ』

私 『ホントだね・・ それだけでもまだ良かった・・・(かゆいけど)』

それでもかゆさはある程度時間が経つと引いてきて、そんなに大きな蜂でもなかったが(多分)、その後チクチク痛み出して、腫れはその後もヒドいものだったが、触らない限り痛みが走る、というほどでもなかった。


当初、1泊2日のツアー参加者と2泊の人たちが一緒に乗っていたけども、すでにランチの時点でみんな仲良くなっていたため、全員2泊3日のツアーに変更していた。2泊だけど、蜂で大して熱も出ないようなのでそのままトレッキングを続行、村に着いた。 トレッキングでバテバテで蜂の痛みなんかどうでも良くなっていて。



相変わらずナニゴトもなくコトは進まない、予期せぬ出来事の連続のバックパッカーの旅は、蜂にぶっ刺されるというありそうであまりないデキゴトから幕は開いたのであった。
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ギネスに挑戦

2008年 05月 28日 (水) | 編集
旅をしていると大自然に驚かされることはしょっちゅうあるが、それと同時にその自然と上手に付き合っている人間にも驚くことが多々にある。ここはニュージーランド南島にある街、ダニーデン。ニュージーランドは北と南の島に別れており、ダニーデンは南島で2番目に大きく、オタゴ大学があるため学生の街としても有名なところ。

大学2年生のとき、友人が南島の首都クライストチャーチに半年間留学していたため、私と友人りーちゃんで友人に会いがてらバックパッカーで周った。ダニーデンにバスに乗って到着してから宿を見つけた後、さっそくインフォメーションセンターに行って情報集めをする。


ほぉ~ダニーデンは野生のペンギン、アザラシを見ることができるんだ~。

へぇぇ~~ アホウドリの観測もできるんだ~~。


日本人にしたらアホウドリって馴染みも薄いし、フーン、という感じであるが、欧米人にすれば "アルバトロス"って大きな羽を広げて優雅に海の上を飛ぶ、優雅で凛々しい存在らしい。 実際、ツアーに入って観に行きましたが、それは本当に美しい大きな鳥で驚いた。後にバックパッカーで旅中、『NZでアルバトロス見たんだ!』って外国人に言うと 『Wow!』って言われることが実に多い。


それでりーちゃんといろんなパンフとか現地情報集めていたら、

『ねぇねぇ。二人で周っているの?』

日本人男性が話しかけてきた。小柄だけど、日に焼けて笑顔がさわやかなお兄さん。見た目旅人である。

私 『そうですけど』

オトコ 『良ければさ、みんなでレンタカー借りて一緒に周らない??もう1人いるからさ!』


どうも、車を4人でレンタカーして、ツアーでは行きづらいところに一緒に行こう、というのだ。



うんうん、楽しそう。

私 『いいね、そうしましょう!』

と話していると、もう1人女性が現れて

女性 『私ももし良ければ入れてくれないかな?』

と言ってきた。それで5人で出発することに。


男性名義でレンタカー借りる。


話を聞くと、ワーキングホリデーでNZを周っているのは男性と後から参加した女性。そして卒業旅行でバックパッカーしている女性、そしてりーちゃんと私である。ワーホリ、つまり余計なお金は使えない、ということで、男性、レンタカーをしたのだが、その車がまたすごいことになっていて、マヅダの古い車、見た目スポーツカーっぽいもの。


スポーツカーって・・・


『これ、ツーシーターの車じゃないですかー!!!』


しかも男性がケチってくれたおかげで、後部座席はイスとは呼べるものではなく、ただの物置。つまり、プラスチック製のイスなわけである。そこに、後からジョインした女性、りーちゃんと私が座るわけで、それでもってそれぞれ荷物も持っていたわけで。さらにスポーツカータイプ、リアウィンドウが超斜めに屋根から出ており、背中をまっすぐ伸ばせないどころか、3人がしっかりオケツをイスに入れることもできず、しかも常に前傾姿勢をとるのだけど、


あとからジョインした女性と私は左右で半ケツ前傾状態、

りーちゃんは真ん中でギュウギュウになりながら、みんなのリュックだの一眼レフだのを持っているのだ。


違法入国したアジア人がクルマにギュウギュウつめに乗っていて逮捕された、とかいうニュースを聞くことがあるが、さながらそんな状態である。息が出来ない。オケツがさらに割れそうだ、なんせイスがプラスチックで硬いからオケツが痛いが、身体も前かがみ状態で、文句を言っている場合ではない。

オトコはズンズン車を進める。


オトコ 『アハハハ~~ 鏡で見ると後ろすごいよ!車おめーもん!』


笑っている場合ではないし! というか、笑う余裕もスペースないし!

窒息するっての!!!

それでも人間慣れって怖いもので、しゃべっていたら腰もオケツも首も痛いのも忘れていた。これが旅の醍醐味である (←要は安全ならオールオッケーな合言葉)


向かった先・・ そこは私初ギネスに挑戦となる場所。ダニーデンは学生街としてNZでは有名だが、それより世界的に有名なのは、ギネスブックにも認定されている、世界一急な坂があるところだ。


ダニーデンは坂が多く、それでマップを見ながらここでもない、そこでもない、と言いながら何度かウロウロ走っていたら・・・ あったあった!! 絶対ここに間違いない!!!! というくらい、とても急な坂を発見。


これ、B級遊園地のジェットコースターくらいあるんじゃないの?というほどの勾配。車をさっそく迂回させて違う道から丘を登る。そしてギネスの坂のてっぺんに着いた。

オトコ 『では、ここから降りてみまーす!!』

そう言うと、彼は車にアクセルを入れた。



ここ降りられるの??! (小雨っぽいんですけど)

この車、重量オーバーでブレーキとかイカれないよね??!(定員人数超えているのではないか?)

ちゃんと止まるよね??! (レンタカー新車っぽくないんですけど)

日本車・・・ 信じていいよね??! (世界のMATSUDAよね!)




キャャアァァア!!!!!!

ヒエエエェェェエェェエエェェェ!!!!


かくして、傾斜各40度はある坂をマツダの古いタイプのスポーツカー(二人乗り)に乗る5人は運命を共にして下り始めた。



猛烈な傾斜のため、体重が前にかかる。そもそもつかまるところすらない左右に半ケツしている私ともう1人の旅人は、自分の体重にモミクチャにされる。こ、これがギネスが認めた坂なのね!!! 身をもって体験する。 

オトコ、途中で車を止めた。 みんなで降りてみる。

降りて気がついたが、この傾斜角度は相当なもので(40度)、坂に対して向き合って立ち、相当前傾姿勢をとっても倒れない。横に寝ようなら転がる勢いである。何がビックリって、さらに普通にここに暮らしている家があるのだけど、その一番右と左の地面に対する柱の長さが全然違うこと!


この坂、雪降ったらすぐムリだよね・・・


今度はまた坂の上から下を眺めたり、また車を止めたりして遊んでみた。車のブレーキが壊れなかったのは・・・ 運が良かったのか・・・ギネスってやっぱり、普通じゃない。



ギザ:働く子供

2008年 05月 22日 (木) | 編集
私がバックパッカーで旅する理由に(普段は都内で働くただの秘書ですが!)、ローカルの人々との交流、というのがあります。それを介して知る、考えさせられる現実。私は少しでもそれを知りたくて、だからツアーで行く旅行ではなくバックパッカーをしてしまう。


バックパッカーはダレでもできるか、と言ったら私はそうではないと思っています。性格とか育った環境が結構大きく影響すると思うので、できない人は1日でギブするかな、と思いますが、それはそれでいいと思うんです。人それぞれなので、『バックパッカーで旅するって、すごいね!』 と友達に言われても、本当に全然すごくなく、でも、すごいと思ってくれるのならば、私が見て、経験した見えづらい事実を、知らない人に伝えることが私の仕事だと思ってます。


世界にはまだまだ小さい子供が普通に働いている国がたくさんあります。学校も行かず、親の手伝いをしたり、観光客相手の客引きをしたり、様々。観光産業で国費をまかなう国とか、観光客が来るところには必ずと言っていいほどローカルの子供たちが駆り出される。

あるとき、エジプトのピラミッドのところで、猛烈なラクダとかウマの客引きに合っていたとき、でも私たちも値段交渉をしながら探していたら、あるデップリとしたお腹の父親と息子がウマを引いて値段交渉をしてきた。子供、見た目多分、5-7歳だろうか。

子供がウマを引くから他の人よりディスカウントをしてくれる。こちらとしては安いものならありがたい。

でも・・・ 子供・・・


日本でいうならトイレではくようなつっかけを、彼の足には大きすぎるそれを履いた息子は、砂で足も真っ白。私たちがここでウマに乗れば彼は炎天下の元、客探しをしないですむ。でも乗ったらこの子を歩かせることになる。仕事をさせることになる。

私はそのとき、日本人旅人と韓国人旅人と一緒にいたが、多分私たち、同じことを感じていた。猛烈な葛藤が起こる。


この子供と時間を共有したいと思った。


私たち3人はそれぞれ1頭ずつウマに乗る。息子は歩いて私ともう1人の日本人オトコのウマの手綱を引く。後ろから腹のでかい父親が言って来た。


『最後に彼にチップをちゃんとあげてよ!!!』


違う… 何かが違う…


息子はウマ2頭を慣れた手つきで引っ張りながら、真横に見えるピラミッドの前でウマに乗った私たちの写真を撮るよ、と言わんばかりにシャッターを押すジェスチャーをする。カメラを渡すとちゃんと撮ってくれる。


彼に話しかける。


私 『ねぇ。足、砂で暑くない?』

つっかけが大きすぎて、つま先がつっかけの先から出ちゃってる。

彼 『ダイジョウブダヨ』 

カタコト英語で返事をする彼。私も簡単な英語で話す。

私 『疲れちゃうからゆっくりでいいからね』

彼 『マイニチアルイテイルカラ、ダイジョウブ』

私 『私か彼(日本人オトコ)のウマに一緒に乗らない?』

彼 『NO、ダイジョウブだよ』


彼は砂に足を埋めながら1歩1歩歩く。そんなウマに乗る私。


私、この上で何しているんだろう・・



20分ほど歩くと、そこから見えるのは、ギザの3つのピラミッドがきれいに見える小高い丘。ピラミッドは大きすぎて、だからこそちょっと離れてこそ3つがキレイに見える。ツアーでは行かないところだ。彼はそこでも写真を撮ってくれる。

そこへバケツに氷を入れた売り子が来てコーラを売ってくる(ギザは高くて1本60円)。ここは観光客も全然いないところなのに、少しの客を、でも必ず買う客を目当てに来る。日本人オトコが自分の分と、そしてウマ引きの少年にも買ってあげてた。


荘厳なピラミッドの壮大な図。だけど、私の目の前には座って私たちを待つ少年。


私に今できるのは、彼の写真を撮ってずっと覚えていること。このことを誰かに話すこと。最後にチップをあげること、きっとそれだけだろう。それ以上に、今、私に何ができる?

私たちみたく、息子に同情する観光客はきっと多い。客もつくし、チップも弾む。そして彼の父親のお腹の肥やしになる。息子は足を真っ白にしてウマを引き続ける。きっと観光客が乗らなければ息子はずっと客引きを続けるだろう、見つかるそのときまで。日が暮れるまで。

私はチップ約300円分を渡し(ペットボトル大の水で20円、コーラ缶40円の物価で300円はそれなりのお金。ちなみにウマ3頭分の値段は約500円)、


私 『このチップはキミにあげるの。パパじゃないの。この200円分はパパにあげても、残りのお金はあなたのものよ。OK?』

私は100円分と200円分を別々に見せて渡した。彼は分かったのか分かってないか、でもうなずいた。彼にお礼を言ってウマから下りた。彼は今、ギザの出口付近まで来てくれたから、またウマ3頭を連れて、歩いて父親の元へ戻らねばいけない。


ピラミッドは過去数多く見た世界遺産の中でも群を抜いてすばらしかったけど、それとは違う忘れられない思い出を私に残した。きっと彼は今日も砂漠の中を歩いているのだろう。観光客にコーラをもらいながら。

ひったくり事件

2008年 05月 20日 (火) | 編集
旅をしていて怖い目にあったことないんですか?


と聞かれることも多いのだけど、留学期間も含め、心の底から 『本気でヤバいかも』と思ったことは一度だけある。スペインのマドリッド ひったくり事件。

マドリッドは引ったくり強盗が多発すると有名なところで、事前情報を調べても、バルセロナ、マドリッドで引ったくりにあいました、という書き込みは多い。しかも、首絞め強盗だの、ナイフでカバンのストラップを切られて引ったくり子供たちに囲まれたと思ったらサイフがなかったとか、容赦しない方法なわけで。

南米なんて、友人は 『ツバはき』 スリ未遂事件にあっていた。これは、いきなり人に囲まれ、ペッペッとツバをはかれ、『うわっっ』とこちらがひるんだスキに、ポケットに手を入れられたり、カバンを持っていようものなら切られて持っていかれるという・・・

友人は幸い、ジーンズの内側に自作のポケットを作っていたため、幸い難を逃れたが。


さて。 マドリッドの午後。


シエスタという午後の休憩タイムに入るとお店も閉まり、暑いスペインは人通りも減ってくる。サングリアを飲みながら立ち飲みバーでタパスと呼ばれる小皿の1品料理をつまむのがスペイン流。マドリッドで一緒にいたアメリカ男性と、ユースホステルで友達になったアメリカ女性と一緒にバル(立ち飲みバー)に行き散歩した後、アメリカ男性は毎日の株価チェックのためにネットカフェに、そして私とアメリカ女性は一緒にロイヤルパレス(王宮)に行くことにした。

サンサンと輝く太陽。石畳の町スペイン。緑と芸術と空間を贅沢に使っている国。日本の文化とはまったく異なり、そして長いこと旅を続けていたイスラムの雰囲気と正反対なカトリックの国の空気に私は自分自身が、『ああ、やっぱりこういう空間を欲していたんだ』、と心から思った。


心が開放的になり、今日はエジプトで買ったかわいいワンピースと、さっき買ったばかりの手さげバックを持っていた。今まではリュックかショルダーバックしか持ってなかったため、ワンピースに合うバックを買ったばかりだった。


マドリッドは碁盤の目のように、規則正しく小道ができているところが多い。メインストリートと平行している1本内側の道を歩く二人。彼女としゃべっていたら、フイに彼女が私のことを引き寄せようとした。


アメリカ女性『誰か来る』

私 『ん?』



そう思った瞬間、





ドンッッッッ!!!!!!




と猛烈な勢いで後ろから誰かがぶつかってきた。よろけて転びそうになる私。




その瞬間、




そのオトコは私の買ったばかりの手さげバックを持って走り去った。



『やられたっっっ!!!!!』


よくこういう状況に陥ったとき、ヒトは一瞬パニックになる、とか、呆然としてしまった、と言う。確かに私もそうなりかけたが、しかし私にはそうなれない理由があった。



パスポートが入っている!!!!!


普段はパスポートのコピーをIDとして持ち歩いていたのだが、その日に限って何を血迷ったか生パスポートを入れていたのだ。デジカメだって、サイフだって、そしてもっと大事なのはこの長旅で出会った人と交換した出会い帳も入っている!!!


それらが入ったカバンを持って走り去る男。 目の前のブロックを左に曲がる。猛烈ダッシュで追いかける私。 とにかく追いかける。Bダッシュ2倍速くらいの速さか。

車の通りもある今歩いていた道を左に曲がった瞬間から、路地に入ったが、しかしまだ少しは広い道。このまま行けば商店もある道にぶつかる、そんな間の道である。パスポートは2週間後にフライトがあるため絶対使う。

それまでに再発行されなかったら飛行機代にチャージがかる・・・ アタマでは冷静に次の手段を考えているが、同時に私、猛烈な勢いで追いかけている。


このままでは絶対捕まえられない!!!!!!


そう判断した瞬間、次に私が取った行動は



アアアアァァァアァアアァァァァーーーー!!!!!!!



と、ありえない大声で叫び始めた。ちなみに今までの出来事、ひったくられてから3秒間くらいであろうか。


自分じゃ捕まえられない!! なら叫んで誰かに捕まえてもらうしかない!!


人間アラームと化して、声にならない悲鳴とか叫びをあげながら、鬼の形相で追いかけるアジア人。人差し指を彼に向けながら、髪の毛振り乱して叫び、追いかけている、こぎれいなワンピースを着た私。


夜叉か獅子舞なる乱心っぷりは見事であった。そして同時に驚いた。

『アレ?意外と距離が離れない??』

そう、そのカバンを持って走っている忌まわしい男と私、2ブロックほど追いかけているのだが距離が縮まりはしないが広がりもしていないのである。 意外と彼の走りが遅いのか、それとも私が超人的速さで走っているのか。


でも疲れてきたわよ!ダレか捕まえて!!

嗚呼、デジカメはいいわよ、データはコピーしてホステルにバックアップあるし。クレジットカードだってもう1枚もホステルにある。航空券は入れてなくてよかったなぁ~ サイフの中も100ユーロ(15,000円くらい)くらいしか入ってなかったし、ま、いっか。

それにしても出会い帳は残念だ、もう彼らから連絡を待つしかない。パスポート、、これだけはどこか郵便ポストとかに入れておいてくれないかなー、犯人・・・


そんなことを考えながらも

アアァァアアァァアァァァァーーー!!!!

鼻から火をふく勢いである。


指差して追いかけていたら、あれ?道行くヒトが振り返ってくれる。

お? 道周りに住んでいるアパートからみんな顔を出しているぞ?

アレ? 結構みんなに聞こえている??



かれこれ3ブロックを追いかけている私。 全力疾走で全力の雄叫び、そのオトコとの距離もあいてきた。あ、オワリだ・・。 オトコとはすでに1.5ブロックくらい間が開いてしまった。



と思ったそのときである。

そのひったくりオトコが走り去った後、私の1ブロックむこうの角で話しこんでいたどこかの男性がなんと走り始めた。


え?追いかけてくれている??!

それとも・・・ 仲間?!


道にはヒトがワサワサ出ている。ああ、ここ、石畳、石造りのアパートが並んでいるから声が反射しているんだ。そんなことはいいから、誰か、彼に植木鉢でも上から落としてくれないだろうか?? マンガで見たことのあるような、生卵攻撃とかあれはマンガの世界だけの話なのだろうか??神様!


そして走っていくオトコ二人は2ブロック先を左に曲がった。ヨシ、私は次のブロックを左に曲がって、彼らと平行して追いかける。そう思って私、彼らより1つ手前のブロックを左に曲がった。 走る。


あ・・・。


立ち止まる私。 ああ、気がつけば目標物がもうないじゃないか。今はきっと彼らと平行に走っているだろうけど、どこを追いかけていいかもうわからない。


はぁ・・・・ パスポート・・・ 出会い帳・・・


もうムリだ。



ここで落ち込んでいる場合ではない。一刻も早く警察に行ってパスポート盗難届けと再発行手続き、クレジットカードを止めなくてはいけない。トボトボと今走ってきた路地を戻り始めた。



そのとき。


むこうで人だかりができており、そして誰かが何か私に言っている。


・・・。 ん?


そう、そこには後から追いかけたオトコがいて、なんと私のカバンを手に持って上に振っているではないか!!!!


走りたいのに、もはや走る力が出ない私。安堵感から力が抜けているのか。

戻ってみると、なんとまったくの無傷のカバンがそこにあった。周りに人垣ができる。スペイン語で話しかけてくる彼。 ありがとう、ハグをする。


私のカバンはオレンジ色で超目立ったこともあり、そして何より安いカバンを買ったため、カバンの口のところにジッパーがついていたのだけど、これまたすごく開けづらい小さいジッパーで、だから、ひったくり男があけようとしても、走りながらでは多分ムリだったのであろう。


カバンの後ろは投げ捨てられたのか、こすり傷と汚れがあった。多分、途中から男性が追いかけ始めたので、犯人は投げ捨てたようだ。周りの人垣もみな喜んでくれている。私と言えば、叫びすぎ走りすぎで胸が痛くて話すこともままならない有様であった。

みんな、ありがとう・・・その後、後から来たアメリカ人女性とホステルに戻った。『怖かったね。でもあなたすごい速さでかけて行ったわよ!』 彼女が褒め称える。

私 『無我夢中だったよ・・。』

その後、2時間くらい心臓のバクバクがおさまらず、1人ホステルで休んでいると、アメリカ男性もネットカフェから戻って心配してハグをしてくれた。

アメリカ男 『それでお礼はしたの?』

私 『どこの誰かわからなくって・・・』

アメリカ男 『チップ渡すとか』

私 『・・・。』

あ~~ 外国文化・・・ 切羽詰った状況で完璧ニッポン文化に戻ってた私。 そうだ、外国ではこういうときお礼のチップは失礼にあたるものじゃなかったのに!!


反省しました。


引ったくりにあったら追いかけるのは正しい判断ではないかもしれない。相手が武器を持っていたら大変なことになる。私はたまたまラッキーだったのであろう。

しかし叫んで誰かにヘルプを求めるのは一つの方法かもしれない。 キャーーーより、日本語はアァアァァーーです。 

鬼気迫る形相で、目から耳から鼻から、そして脳天から大声を出してください。



ぜひ。

イスラム女性のIDチェック

2008年 05月 17日 (土) | 編集
イスラム女性が国境越えのとき、税関のオトコに顔を見せるのか?


真っ黒のベールと真っ黒ガウンに、ときに真っ黒手袋をして、多分そんな格好が似合う日本人は線と千尋の神隠しに出てくる湯婆か黒柳徹子さん(私の憧れの女性です)ぐらいかと思うのだが、シリア女性にしたらいたって普通の格好。


シリアの首都、ダマスカスで1週間ほどずっと一緒にいたオーストラリアからの旅人とも別れ、彼はその後はレバノン、私はヨルダンに向かうことになっていた。ヨルダンはかなり楽しみにしていたので、相当ワクワクしていた私。シリアからヨルダンへはバスで5時間くらいだ。 国境近くになると、一般トラックがありえないほど列を作って並んでいて、一向に動く気配はない。人はそれぞれ、外にテーブルを出してご飯を近所トラックと食べていたり、寝ていたり、だ。


彼らは国境を越えるのに多分1週間くらいかかるんじゃないだろうか。というくらいまったく動かない。 周りのくさっぱらは間違いなくヒトの天然トイレ、しかし感想地帯なためにおいの心配はきっとないのであろう。

私はそのとき、シリアの首都ダマスカスからヨルダンの首都アンマン行きの国際バスに乗っていた。運転手、アシスト2人がいて、そのトラックの行列を横目にスイスイ走ることができた。
出入国では私たちはバスをシリア側で一度降りて出国印を押してもらい、またバスに乗ってすぐヨルダン側へ入り、入国スタンプを押す。


ちなみにヨルダンと言う国、日本人はNO VISAで入れる。 しかしアメリカ人とかは数十ドル払っていた。とてもおもしろい。
ちなみにシリアは日本人はVISA代が25ドルだけども、アメリカ人はなんと100ドル!! シリアで出会ったアメリカ人学生は日本人の価格に驚嘆していた。これで2週間しか滞在できないなんて・・・ アメリカという国が外国でつまみものにされているのがわかる。



血税使ってニッポンはたくさん国際援助しているのが一因か。 会社でストレスのために蕁麻疹が出来たり、残業とかで腸炎になったこともあるが、税金払っておいて良かったと、この砂漠の国、シリアで痛感したものだ。

バスが国境に近づくと、アシストのおじさんたちが全部指示してくれるし、記入箇所とか教えてくれるので非常にラク。 ちなみにシリアもヨルダンも入国理由とか一切聞かれることは無く、むしろ笑顔で "I love Japan!"と言ってきたほどだ。


ここでおもしろいことが起こる。

バスのアシストのおじさんが、シリア国境近くで、バス内でパスポートチェックに入ったのである。

実は通路を挟んで私の斜め左前の席に、まさに全身、目までベール(アバヤ)をすっぽりかぶった女性が座っていて、私としてはこの女性がIDチェックのために、バスのおじさんにその美顔をお披露目するのかどうか?!

ということに内心、非常にワクワクしていた。 顔を出すのか? え? どうするんだろう?!

おじさん、くろすけに近づいた。 なんやら話しかける。 間違いなく 『パスポートくれ』 だろう。パスポートは無帽、背景無しだよね?世界共通で??


そしておじさん、黒い女性のパスポートを受取る。

さぁ!出すんだ!顔を出すんだジョーー!!!!

心の中で叫ぶ私。

おじさんパスポートを見る。 そして黒い女性の取った行動は



窓の方をむいて、知らんぷりを決め込む。


立ち去るおじさん。


ええっ!? あり、ありなのか??

国境越え、顔面チェック無し???!!! 



この女性が実はオトコでテロリストでバス爆破で、ID偽造とかだったらどうするんですか???!!



おじさんが私のところへ来た。 パスポートを渡し、そして彼は私のことをジロジロ見ている。しかしすでに私の興味はその黒い女性での出来事。 

パスポートと私の顔をこれでもか、というくらい見るバスのおじさん。


イヤイヤ、私はどうでもいいし! 顔出してるし! あっちはどうなのよ、テロリストだったらどうするのよー!!!!


そして女性はその後も、顔を見せることは無かった。ちなみに後日聞いたところによると、空港では女性税関員とかが別室で顔見せチェックをするらしい。


ヨルダンの入国審査も終わり、無事入国。そのヨルダンの国境のところに小さい店があって、休憩を取ってくれた、あぁ、やっと外の空気を吸える!と思ったら、どうもイスラム教徒のお祈りの時間だったらしく、その休憩所で地べたりあんになり、祈り始める人々。


一人夕日を眺める私。


そこで私はポテトチップスとコーラを買って休む。 汗をかいて体力を使うアラブの国ではしょっぱいチップスが非常においしく感じるものだ。そこでの私の関心はやはり黒い女性。

さっきチップス買っていたの見たわよっっ! さぁ、どうやって食べるのかしら、黒いグローブで?! 顔の前は完全真っ黒よね!カーテンかかってるものね!!

バスに戻った私たち。 あの黒い女性のことが気にかかる。どう食べるのだろうか。

見ると彼女は黒いグローブを取ってムシャムシャ、手をつっこんで食べいた。右手でチップスを取ったら、左手で顔の前の黒いカーテンをあごのところから少し持ち上げ、チップスをクチに運ぶ。

これは別に予想通りだ。 しかし食べ終わったらしいチップスを、この後に彼女は私の予想を超えた行動を取った。



オーーット!!! くろすけ選手、右手でチップスの袋の下を持ったあぁぁ!

それを一体どこに持って行くのかぁ~~!? さぁ、見ものだ!!

おおーー!なんと、これはどうしたことか、くろすけ選手、左手で顔の前の黒いカーテンをバサッと開けたぞー!!!

キレいなあごが見えますっ!!!

現在、これを見ているのはニッポン人、唯一と思われますっっ。 なんと奇跡的光景に出会えたのでしょうか!!

くろすけは小学生の子供がするように、クチを開けてあごを上にして、チップスの袋から残りのカスを、そのまばゆいおクチの中に放り込んだぞーー!!!  バッサバッサと。



ああ、こんな光景に出会えるなんて・・・ とりあえず、クチの周りのカスを拭きたまへ、淑女よ。


その後、、夜10時半くらいにヨルダンの首都、アンマンのバスセンターに着いたとき、くろすけ…ではない、その女性は私に話しかけてくれて、

ええ?! 心の中で実況中継してたのバレてた?! 

と思わず謝ろうとしたら、、

『町の中心に行くなら、タクシーだったら○○円くらいよ 』

と、相場を教えてくれた。 なんて優しい女性。バスの中で実況中継だけではなく、一部始終見ていたことに罪悪感を覚えたのであった。

IDの顔面チェックを受けていない彼女はテロリストどころか黒いベールをかぶった天使とわかったのである。

トイレ暗黒の歴史

2008年 05月 12日 (月) | 編集
ローマ帝国時代にすでに水洗トイレが存在していた。人間とトイレ事情は切っても切れない事情である。

もしご飯食べながらこのブログを読まれている方、もしかしたら後で読まれた方がいいかもです…

売春宿への入店資格は足の大きさでチェックしていた!

ということで、ジャイアント馬場なら中学生のときには余裕でパスれただろう、その看板にあった足の写真を載せてみました。年齢制限はあったのだろうけども。(前回の記事はこちら

それで、このエフェソスの遺跡にはもう一つ、私のハートをわしづかみな、それでもって多分、多くの人が感銘を受けるであろう、そう、ニッポン人がお金をかけて、そして愛してやまない場所があったのである。

トイレ! しかも水洗! 2世紀に!それがこれまた2千年も残ってるなんてミラクルだ。

そんなトイレ画像はこちらである。

efestoilet.jpg


青空トイレ、仕切りなし。隣の人と団欒のときをこのトイレで持つ。


要領はお分かりであろう。 この穴のところに座って用を足すと、トイレの中に水が流れているので汚物は流れ消え去るのである。さらに足元に溝があるのだが(手前のトイレ穴のちょっと上、足元)、 この溝には水(お湯?)が流れていて、それでお尻を洗ったと。

ローマ時代に水洗トイレは黄金期を迎える、まさに歴史に残る大フィーバーなわけである。


こういうところでも哲学、神学は語られたのであろう。音楽の作曲、劇の作成はされたのであろう。

『やっぱり汚いものはちゃんと流さないとね』

『しかしお金はどこから出るんだよー』

『税金ってのを納めるってのはどうよー』

『いいねーいいねー、それいいねー多数決でこのお金をトイレに使うか決めようよー』

そんなこんなでデモクラシーがトイレの中から発展していったのかと思うと、感慨深いものがある。ニッポン人はとかく用足し姿を人にさらすことを嫌うが、ローマ人はそこは憩いの場であったわけである。
そう、私たちニッポン人は他人に素っ裸を見せることはアリだがトイレはダメという、他国には理解されがたい高尚な国民なのだ。


トイレにお金をかける国民とか言われているニッポン人代表として、これは私も確認作業をする必要がある。
青空の下で古代人が座った石で、お隣さんにどこまでも個人情報丸出しで用を足してみたい!!!


さっそく座ってみる私。

お? 丸の部分がかなりジャストフィットでお尻にはまる。 石でオケツは冷たいし、丸い部分にスッポリ入った丸い私のお尻はハマるべき場所にキレイにはまっていてすわり心地はなかなかいい。


これで下に水が流れて、自動音消しまであったのね。出たものはすぐ消去、消臭効果抜群ね!


と思いを古代に馳せながら踏ん張る





・・・・格好をして写真を撮る私、残念ながら洋服は着たままだ。


それでトイレの世界の歴史を調べてみた。 


ッポンだってついこの間まで汲み取り式トイレってのがあったわけで、今でこそ世界に誇るトイレ大国ニッポンだけど、お隣り中国では、ドアも仕切りもないニーハオトイレなんかもまだ都市から離れると存在するくらいだ。お隣で用をたすあなたとわたしは 『ニーハオ!』なのである。


しかし残念な事実をここでお知らせしなくてはいけない。5世紀にローマ帝国が滅亡してから水洗トイレはその輝かしい姿を人間の表舞台から姿を消し、そしてトイレ暗黒時代に突入した。



中世ヨーロッパ・・・ 華々しい王侯貴族と貧しい庶民、そのトイレ事情はすさまじいものであった。

よく、フランスで香水文化が生まれたのは、その体臭を消すため、と言われている。 当時は風呂に入るという習慣がなかったからだ。 ウンウン、確かにジャンヌ・ダルクとかブレイブ・ハートの映画とか見ても、庶民の見た目の汚れっぷりは相当なもの。

しかしそれ以上に悪臭を放っていたのは他でもない、人々のンコであった。

18世紀頃までのヨーロッパの都市は城塞都市で、人々はアパートみたいなのに暮らしていた。そこにはトイレ部屋はなく、おまるに用を足していたのだけど、それらが溜まると、その中身を下の通りに解き放っていたのだ。 かほりと汚物を撒き散らしながら。

風呂やシャワーを浴びないのに、違うシャワーを浴びてどうする!!

その結果、中世ヨーロッパではマント(シャワーよけ)やハイヒール(すそ上げ)が流行したという、ンコから生まれた花咲く文化がファッションであり、しかしどこまでも美にはこだわっていたわけだが、こだわるところが違う気がするのは気のせいではないと確信している。



中世ヨーロッパ各国でたびたび猛威を振るったペスト(黒死病)やコレラで猛烈な人々が命を落とし、とかく、この糞尿による不衛生も一因になったことは確実だろう。

フランスのそのンコ事情はこれまたすさまじいものがあったという。(お食事中の方は自主規制した方が良いかと・・・)



豪華絢爛ヴェルサイユ宮殿も、その昔はンコ宮殿だった。

王様用のトイレはお座り用の水洗があったが(最後の方になってやっと作った)、人々は圧倒的数の少ない汲み取り式トイレ、つまりはおまるで用を足し、その中身はまたもや庭に捨てたという。 

ちなみに個室ではない、大広間に並べられたおまる、である。

トイレが足りなかったりするとお庭の隅でンコ、回廊や中庭にもンコ、豪華なドレスを着た貴婦人も、マイしびんを持ち込んで用を足したら、中はお庭に破棄。

不衛生、においがイヤとわかってどうして違うところに捨てない??! 太陽王ルイ14世はンコ臭に耐え切れなくなり、ルーブル宮殿からヴェルサイユに引っ越した。

踊って歌って喰ってる場合じゃないよ! やることあるよ!!

現在でもフランスでは毎日シャワーを浴びるという人々はそんなにいないという。

それで結局19世紀初め、ロンドンでコレラが流行し、そこでやっと上下水道整備の重要性を認識したということだ。ローマ帝国滅亡と共に水洗トイレは暗黒時代に突入したが、17世紀のときを経てやっと歴史の桧舞台に返り咲く。


我々が普段、普通に使っているトイレのウラには、とてつもなく人類のたゆまない努力なさすぎの上に成り立った、悲しい事実の上にあるということを、日々忘れてはいけないのである。

世界最古の職業は売春婦

2008年 05月 08日 (木) | 編集
世界最古の職業は売春婦―


世界最古の職業は売春婦とか歴史上の風説とか通説で、または王様と乞食と売春婦とか言われている。結局、世の中すべてオトコという生き物が子孫を残していく、という強い本能にかられてのことなのか、とか思ってみたり。


ところでクイズです!


ローマ帝国の時代、売春宿に入るために十分大人かどうか、身体チェックがありました。さぁ、それはどうやって??




チッ チッ チッ チッ・・・


あなたは 『この売春宿に入れますよー』 と許可されるための身体チェック。


相当おもしろいぞ、ローマTEIKOKU!



正解は・・・。


この足(左)より自分の足が大きかったら入店許可!

efes-ashi.jpg



マジですかー! おもしろいー!

ちなみにこの足は意外と小さく、私でも入れるようだったわけで、結局ダレでも入れるんじゃないか、というつっこみもすかさずしてしまったのだが。


ここはトルコのエフェソス遺跡。トルコは昔から 『文明の十字路』 といわれたように、東西、アジア、西洋、アラブの空気が混ざっている。

私自身が泊まっていたイスタンブールの宿には、アジアを横断してきた旅人、ヨーロッパを周遊していた旅人、アラビア半島を北上してきた旅人たちが入り乱れて泊まっていて、情報交換がさかんに行われていた。現代にも文明の十字路であることは間違いなかった。

さらに世界の宗教に興味のある私としては、このエフェソス遺跡は他の遺跡とは全然違うものを感じさせてくれるところだった。



エフェス遺跡 --

古代ローマの時代、紀元前2世紀頃に、ここはローマの商業都市として栄えた。 しかし歴史的に見て、そんなことより名前を残している理由はほかにも実はある。 
4~5世紀にここで開かれたキリスト教の公会議により、現在、カトリックが認めているキリストとマリアの神性が認められたところである。 


『マリア? この人はキリストの母であって、神性はないでしょ!』

『ちゃうちゃう、マリアは神の子キリストの母やねん、神性認めるべきやろ!』

『キリストは人として産まれたっちゃ、神ちゃうよー、人だっちゃ』

『えー? マリアは処女なのに妊娠でしょ、意味不明、はぁ?』

『キリストは死んだ後、3日で復活したじゃん!ってことは、神じゃん!』


とかなんとか、答えのないディスカッションが行われ、気まずくなると破門されたり、意見はあっちこっちいって、それで最終的に


はい、キリストは神の子だけど神です、マリアは神性ありです。

と決まった、その場所がまさに、 このエフェスの、私が今立っている、この石の、この場所なわけである。


世界史を愛し(受験の世界史は忘れかけているけど・・・)、カトリックに興味のある(信者ではないが・・・)、いにしえ人の魂残るこの場所に降り立つ私…。 感慨深いものがある。猛烈なお土産やへの勧誘も今はいにしえ人のささやきにしか聞こえない。


『今、私、この2000年も前の人々もくぐったであろうヘラクレス門のところの柱に寄りかかっているのね。 英雄ヘラクレスもギリシャ神話の通り、獅子の毛をかぶってるのね(感涙)。ってか、宗教って相変わらず不思議だわ~~~』


ジ~~~~~~ン・・・・


そこに、である。古代ローマ人が足げに通った売春宿の看板という足跡なんかが2000年近く残っているわけだ。売春婦ってものの価値観が相当変わる。負のモノ、恥じるモノじゃない、人間のれっきとした文化遺産だ。
それでこのエフェス遺跡にはいろいろとスゴイものがたくさんあって、知られていないけども古代七不思議の1つ、アルテミス神殿があった場所でもあるわけで、Wikipediaに書いてあるのは、


世界の七不思議のリストの編纂者であるビザンチウムのフィロンもまた次のように表現している。


【私は、バビロンの城壁と空中庭園、オリンピアのゼウス像、ロードス島の巨像、大ピラミッドの偉業、そしてマウソロスの霊廟までも見た。しかし、雲にそびえるエフェソスのアルテミス神殿を見たとき、ほかの不思議はすべて陰ってしまった。エフェソスのアルテミス神殿は、神々のただひとつの家である。

一目見れば、ここがただの場所ではないことがわかるだろう。ここでは、不死なる神の天上世界が地上に置かれているのである。巨人たち、すなわちアロエウスの子らは、天に登ろうとして山々を積み上げ、神殿ではなくオリンポスを築いたのだから。 】


どんだけのロマンがここにはつまっているの!!! 神々が住まう天上の世界を地上に作る、と。


こりゃ、やっぱり世界一周して自分の目でもっと多くの不思議を見るしかないっ!


しかし本当に心から私が思うことがある、それは・・・ エフェソスが世界遺産ではないのが非常に七不思議。


そう、ここは世界遺産ではない。 実際、まだまだ発掘作業は全体の1/3も終わっていないと言われており、でもこんな世界の歴史を常にひっぱってきたキリスト教 カトリックの教えのおおもとはここからじゃん?なところは全人類の遺産だと思うのだが。

ちなみに観光客の数は相当で大型バスで来ていたツアー客が世界各国からいた。もし次の国を迷われている方がいたら、トルコを強くお勧めします。 


このエフェス遺跡、おもしろいものがゴロゴロなので、次に続きます。

アウシュビッツからの生還者と会う

2008年 05月 05日 (月) | 編集
世界遺産の中には 『負の世界遺産』 と呼ばれるものがいくつかある。 有名なところでいうと、

・アウシュヴィッツ-ビルケナウ、ナチス・ドイツの強制・絶滅収容所

 → ナチス強制収容所、ユダヤ人が100万人以上虐殺された

 
・広島原爆ドーム

 → 十数万の死者を出した人類初の核兵器の跡


・ゴレ島(セネガル)

 → 数百万人がアフリカから中南米へ奴隷として送られた奴隷貿易の拠点



があり、たとえば、アウシュビッツは、

「人道に反して犯されたもっとも重要な罪を具体的に記録する例」

として、これらを保全することにより、私たちは世界平和を維持していかなくてはいけないということ。


私は残念ながらアウシュビッツには行ったことがなく、それで旅中に出会った日本人でアウシュビッツに行った人に話を聞くと、みな、同様な感想を言って来るのが、その恐ろしさを物語っていた。

多くが言うのは 『感情がなくなった』 と言うこと。違う友人は 『ワケ分からなくなった』 そんなことを口にしていた。

ここはいつか私も訪れなくてはいけない、と思っている。



旅をしていると、普通に日本で生活をしていたら見たり聞いたりできなかったことを生で自分が聞けることがあり、だから海外に出ることは大切と思っています。


旅中にシティにステイするときは、博物館や公園で過ごすことが多く、数日したらたいていはシティから離れる私。 でも、オーストラリアに行ったとき、シドニーにある、あるところへ行きたくて、1日時間を取った。


ユダヤ人博物館


ユダヤ人の歴史を知ったのは中学生のときにアンネの日記を読んでから。


シドニーに行く4ヶ月前に、カナダのトロントに住む友人けいちゃんに会いに行った。ボーイフレンドがユダヤ人なので、ハヌカと呼ばれるユダヤ教のクリスマスのようなお祝いに参加させてくれたりしてから、知識だけの存在から、知るべき存在へと変わっていた。


歩いて博物館へ行く。入口へ入ろうとしたら

『招待状持ってきていますか?』

と言われた。


え?? 招待状なかったら入れないの?

私 『いや、持ってないです・・・ここ、ユダヤ博物館?ですよね?』

あれ?入口間違えたのかな?

女性 『そうなの。でも今日は○○のパーティがあって(スイマセン、英語理解できず)、ゲストがたくさん来ているから、あまり一般人はいないのだけど、それでも良ければゲストとしてwelcomeよ!』

その日、何かのパーティだかをしてて、確かに1階にはイスが並べられ準備が進んでいる。私は入館者リストに名前を書いて入館した。 真ん中が吹き抜けになっていて、4階までフロアがある。その博物館では、そのアウシュビッツで亡くなった人たちの大量の写真、当時の様子、新聞がたくさんおいてあった。


ボロボロの当時の服、毛髪でできた毛布、壊れたメガネ、毒ガスの空き缶。

大きなパネルを見ながら、そして白黒の映像を見ながらその場で倒れそうになる。

理解ができない。何がここで起こっていたの?なんで?これは何のために??

3階ほど登ったら、ある部屋には、大人の写真がズラーっと並んでおり、それを見ながら、彼らがどうやって亡くなったのか、家族はどうしたのだろうとか、今はただの写真だけど、その裏にはどれだけの涙があるのか、と思うとやりきれなかった。

奥に歩く。 ちょっと雰囲気の違う部屋があった。足を踏み入れる。 ダレもいなくて私、1人だった。そこは薄暗い部屋。長細く、入口と出口がこちらとあちら側にある。

今までの部屋よりもエアコンが効いているのか肌寒い。

そこにも写真が並べられていたのだが、



声を失った。




すべてそれらは子供たちの写真。

子供 子供 子供 子供・・・・・・・

四方から子供たちが私を見下ろしている。笑顔であったり、あどけない顔をして私を見ている。 ブロンズでできた山のオブジェがあった。それらはよく見ると、すべて、小さい靴でできた山だった。


真ん中に黒くて大きな丸い石のオブジェがある。 そこにだけ光が当たっている。オブジェの上には小さい水たまりができており、そして天井から水が1滴ずつ、

ポターーーン ・・・   


ポターーーン ・・・

と落ち、薄暗い部屋の中に響き渡る。ものすごく怖い。説明書きを読んだ。

『これは子供たちの涙です。彼らは今でも涙を流しているのです』

涙が止まらなかった。 本当に吐きそうになった。



下でパーティが始まったらしい。私みたく、ユダヤ人ではない人間が興味本位で参加してもいいものなのか。こんな歴史を背負っている彼らに、どう向き合っていいかわからず一瞬、躊躇した。 私は吹き抜けになっているフロアの2階まで降り、そこから下のフロアを覗き込んだ。多くの人々がイスに座っている。


司会の女性が誰かを紹介する。

司会 『それでは本日は、このご本の著者であります、Mr.○○○ に講演していただきます。』

そう彼女は言った。なんと、紹介されたこの男性、あのアウシュビッツの収容所から奇跡的に生還できた1人だというのだ。この人が・・・ 今、目の前にいるこの人は・・・ あの地獄から生きて帰って来れたんだ。

収容所が開放されたとき、数千人しか残っていなかったのだが、この人はその中の1人なんだ!

もう80歳近いご老人。 シドニーには2人、アウシュビッツから生還された方がいるらしく、彼はその1人とのこと。今回、本を出したらしく、今回ゲストとして招待されていたようだ。

講演が始まった。 私も思わず傍聴している。

多くの収容者たちは、こっちで仕事があるから、と言われ連れて行かれ、そのまま戻ることはなかった話、少しでもしゃべっていようものなら、その場で銃殺された話、とにかく飢餓がヒドくて、収容所の中でもユダヤ人同士で奪い合いが起こった話。

生きて生還した後でも、自分の家はすでに違う人が住んでいて、自分の戻る場所も無かった彼。約1時間の講演、最後の30分は涙が止まらなかった。

そして彼は言う。

『この歴史を忘れず、私達が受けてきたこの悲劇を胸に抱き続けることがユダヤ人にとって大事なことだ』

と。そうなんだ、彼らにしたら、聖書、習慣、神の存在と同様、歴史の一幕に起こったホロコーストまでもが、彼らのアイデンティティの一つになっているんだ、彼らユダヤ人、と呼ばれる人たちの一幕を見た気がした。

私は第二次世界大戦を経験していない。ユダヤ人の過酷な歴史も、ただの知識程度にしか知らなかった。 旅をしていると、こういう出来事がときにあり、時間と空間を越えて、一生忘れられない記憶を残し、それは大事な私の核となる。 彼に出会えたことを私は一生忘れないだろう。


博物館を出るとき彼と握手をした。キレイな目をしたご老人。私は彼が生きて帰ってきてくれたことが心からうれしかった。



バックパックへの愛着

2008年 05月 02日 (金) | 編集
自分のバックパックを愛している旅人って多い。



多分、多くの旅人は自分のバックパックを愛してると思う。 
それはヴァイオリニストが自分のヴァイオリンを愛し、スケートボーダーが自分のスケートボードが気に入っているように、私にしたらバックパックは大事な思い出がつまった相棒。


意外に多くの旅人が自分のバックパックについてのネタを持っていたりして、それを聞いているだけでも結構おもしろい。


私がここ最近愛用しているバックパックはドイツのトレッキングブランドのdeuter(ドイター) エアコンタクト 40+10S というもの。

40+10というのは容量をリッターで表したもので、この容量は長期旅人の中では小さくもないけど、特段大きい方でもないです。(後に写真アリ)


というのは、コレを背負って、プラス、カラダの前に25L(普通のリュック)のThe North Faceのバックパックも持っているので、これ以上大きなバックパックは重いので背負えません!! ホント無理! しかし
このACTライトは軽量化されてて、さらにあまり背中部分も高くなくしてるので女性に使いやすいもの。


バックパックはやっぱりいいものを使った方がいい!

と私、声を大にして言います。 やっすいモノでも全然気にしない人もたくさんいるし、タイとかで買ったニセモノを使って長い旅をしている人もわんさかいる。

実際私も以前、モンゴルで買ったニセモノの50Lバックパックを使っていましたが、ちょうど日本で準備をしてたら バチンッ!!!! とショルダーストラップが切れ、旅に出る前にストラップが切れるとはどんだけ縁起が良くないんですか・・・ と、軽く落ち込み、それでもういいものを買おうと思い、トレッキング用品が売っている専門ショップに行って、いろいろなブランドのバックパックを背負いまくってお試しした。


自分のカラダとバックパックのフィット感(女性は背中がくぼんで、お尻もあるので、そのカーブに合っているモノを探す)を試してから、自宅に帰って、まったく同じものをネットで探し、ネット価格でディスカウント、さらにセールになってたとこがあって、店頭価格より7,000円くらい浮いた。


モンゴル製ニセモノは背中とかクッションも入ってないし、ただの袋、と言う感じだったので、背中とバックパックに空間ができてカラダが後ろに引っ張られて、肩と腰が痛かった。しかしやはり正規品はストラップの高さを肩の高さ、幅で調整ができるし、なにより安いものには入ってない金属性の背骨?が入っているのでカラダにすごくフィットする。通気性もいい。

これで腰のストラップをウエストで締めれば、つまり肩だけじゃなくて、腰でも重さを支えられる感じなのである。


これでもあるとき、背中に17Kgのバックパック、前に2Kgの小型バックパックを前抱えして、シリアのとある町のバスステーションから、カンカン照りなんていう言葉では片付けられない、強いて言えばギラギラジリジリモアモアムラムラな太陽の下、歩くのが速いオーストラリア人の旅人と宿まで歩いていたとき、あまりの背中と前の重さと、太陽の熱とで、何度このバックパックを

『この道端に捨てたろうか!!!??』

と思ったことか数知れない。毎3秒ごとに 『次あと3回右足を出したらこのバックパックを捨ててやる!』 と言いつつ、 『いや、でも旅は続けるんだ』 とその自己葛藤に陥ることもたびたびある。 


それで、他の旅人に聞けば、ニュージーランドのトレッキングブランドのmacpac製を使っていて、どれだけそれが耐久性がいいか、とか、筒型のリュックではなく、四角い形をしているので、スーツケースをあける感じで荷物を出し入れできる、と自慢してたり、

ある人は、世界を共に旅したバックパックを背負って日本でキャンプに行ったら火事になって(ってかこれ、相当笑えない事件だったらしいが・・・)、


思い入れのあるバックパックがメラメラ燃え、ついでに旅の出会い帳もあとかたもなく灰になった、


とかで、これを聞いたとき、彼がどんだけショックだっただろう・・・と思うと、本気で同情した。

旅先で出会った旅人との出会い帳まで見事燃え尽きたと泣いていた。



ということで、アテクシのバックパック写真、あまりなかったのだけどトルコを電車移動したときに撮ってた写真があった!


backpack.jpg



小さい方のリュックは背負ってたらしくて写ってません。 バックパックにくっついているのは同じdeuterブランドの寝袋。

緑の袋は、これ、オーストラリアのどこにでもある、有名マーケット、ウールワースのエコバックです。 このエコバック、布製なのだけどありえないくらい頑丈で、重いお土産とか食材買ったときとかバッサバサ片っ端から入れている。寝るときはベッドサイドにトイレットペーパーとか本とかいれるのにちょうどいい。
バックパックに1こ入れておくと便利なエコバック。


ということで、なんだか1人バックパックをアツく語っちゃいましたが、トルコで買った、目玉が描かれた青いガラスの魔よけ(ナザールボンジュウ)をつけて、いつもコレを背負って海外行ってます。


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