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違法入国の嫌疑

2008年 04月 27日 (日) | 編集
ああ!ヨルダンからの11時間移動ももう水に流すよ!やっと着いた念願の地、エジプト!初めて立ったアフリカ大陸の風を感じたいが・・・ この港の喧騒、アラブ人のケンカみたいな商売、アラブ人オトコのガン見・・・ って今までとなんらかわらんやんっっ!


ヨルダン(~エジプト越境)一気読みはこちら から。

                       
エジプトはピラミッド、砂漠が一般的に有名だけど、宗教的に見れば、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の聖地シナイ山が紅海に挟まれたシナイ半島にあってそこで預言者モーセが十戒を授かり、また紅海は波があまりない、ということで、ダイビングも相当なものである。

それで、シナイ山も結局登ったのだけど、この経験もこれまたすごいものでしたがいつか書きたいと思います。
さて、朝8時にヨルダンの港町に着き、最終的にフェリーでエジプト側に移動できたのは夜7時。エジプトの港にある入国審査オフィスもこれまたありえないくらいボロくてちっさい小屋にデスクが1セットあるだけで、おっちゃんが座っていた。そこで入国審査がありスタンプを押され、そこでレシートっぽいのをもらった。

入国審査と言えども、質問も何もなくただスタンプを押して、さっき買った入国税の印紙を貼るのみ。

そいえばパスポートに押される入国スタンプを見るのが大好きなのだけど、エジプトに船で入国した今回は、スタンプに船マークが入っていた。 しかもスタンプもキレイな3色のグラデーション(グラデって初めて!) 。カイロ空港で入国スタンプを押された場合は、絵がピラミッドとかになるのだろうか、とそのとき思っていたのだが、その2年後、今度は飛行機でエジプト入国した際はただのスタンプであった。港だと船になるようだ。

入国審査のときはアメリカ旅人と離れてしまい私は1人だった。入国スタンプも押してもらい、そしてまた違う倉庫のような荷物検査のところにバックパックを持っていって2人と合流した。アメリカ人旅人に誘われて、『すっごいいいらしいよ!』 と言われたビーチキャンプのできるヌエバアのビーチにタクシーで移動することに。

タクシーのトランクに3つのバックパックを入れるのだけど、アメリカ人の1人は自分のバックパックがギュウギュウ詰められて 『もう少し丁寧に扱ってくれよ!』 って半ギレでした。日本のタクシーのようなサービス精神はない。タクシーは動き始めた。ちっさいホテルを港近くに建設中らしいなぁ、と思いながら外を見ていた。

通りに出ようとした、そのとき、タクの運ちゃんの携帯が鳴った。 

すると、



運ちゃん;

『港から戻れ、って言われている』


と言ってクルマをUターンし始めた。

はああぁぁ??? もうコチトラ、ありえん移動とタクシー交渉と疲労・空腹でイラついていたあげく、タクシーが港に戻ると言い出してアメリカ人の1人は相当いかっていた。

『なんで?何か入国審査ミスがあったわけ??』

運転手 『ワカラナイ』

『理由もなく携帯に電話なんてかかってくるわけないだろう?』

もっともだ。わざわざ運転手にかけてくるなんて。何かあったのか、と推測できる。

運転手 『何か入国のときにあったらしい』

それで車内にはなんかよからぬ空気が流れ始めた。


何かの手違いとかで私たち誰かが違法入国扱いになっている? 

それともどこかに連れて行かれる口実?? (旅をしていると簡単に危険センサーが働いてしまう)


相当ピリピリした空気が流れ始めた。



港にはスグ着いた。タクシーが港の入口に着いたと同時に黒い制服を着たオトコ(警官か保安官か港関係者?)が2人近づいてきて、さらにアラブ人オトコ2人とか来た。



ハ?? ナニナニ?? 

明らかに誰か何かシデかしてるっぽい。


制服を着たオトコが名前を呼び始めた。 


エイドリアン・・・ ジェフ・・・ そして・・・ 私の名前・・・・・ は




無い。




周りにいたエジプト人男性たちが一斉に私の顔を見る。



え?ええ? 違法入国者は私??!


私、ジェスチャーで ”What's wrong? 何か問題があった??” を訴える。




なんか用紙がどうのこうの、イミグレーションオフィスでアーダコーダとか言ってて、アラビア語なまりの強い言葉で数人にまくしたてられても何がなんだかよくわからない。アメリカ人たちも一生懸命、彼らの言おうとしていることを理解しようとしてくれて、それでどうも、私が書類を何か提出していないことが判明した。


いつ? どこで?? なんの書類?

するとさっき、入国審査をしてくれた白いシャツのおっちゃんが来た。

おっちゃん;

『おー!キミ、さっき渡した紙あっただろう? アレ、どうした?』

私 『紙?』

アメリカ旅人『あー!イミグレーションでパスポートにスタンプ押されたとき、白い紙もらったでしょ?あれ出した?』


・・・。 知らないんですけど・・・


どうも、入国審査のときにもらったペラペラのレシートと思われたショボイ紙キレを港を出るときに提出してなくてはいけなかったらしく、それを提出してなかった外国人が港を出た、ってことで港ではヒト騒動になっていたらしい。


ザッツ・ミー!!! 私!!!

というか、印紙を買ったレシートかと思っちゃったよ!!! 捨てては無いけど・・・ どこ??! あんな紙キレが重要とはーー!!


ズボンのポケットか、カバンの外ポケットか、地球の歩き方のどこかに挟んだか?!

私 『OK OK!! Sorry!! 持ってるから! ちょっと待って!!!!』

必死に探す私。 汗でズボンのポケットの中にあったショボ紙はシットリクシャクシャで発見され、そして白いイミグレのシャツオトコも笑ってコトは終了に。


はぁ・・・・・


どうもアメリカ人たちはタクシーに乗る前に、すでにその制服のオトコに紙切れを渡していたらしい。これはいわゆる、入国審査カードらしかった。そんな大事なものなら、ちゃんとオフィス構えてよ! 港出るとき、出口で制服の人にそんな大事なモンを手渡しする、なんてダレも思わないっちゅーねん!


入国審査時にちゃんと聞いてなかった私のせいなんだけども・・・

そしてやっと予定のビーチキャンプに移動した。


このヌエバア地域、2004年にテロ爆弾事件があってから一気に観光客が減って以来、まだなかなか観光客が帰ってきていない。地球の歩き方にもたった1ページ(しかも白黒)しか載っていない場所。

ビーチに着くと、そこにはいろいろな大きさの掘っ立て小屋がビーチの上に建っている。波もない紅海、海の音も日本のそれとは全然違っていて。ここは1泊予定だった私だったが、結局3泊して、そして偶然に人生の一瞬を共に過ごした3人は、一生忘れることのない、それは魂の奥底に突き刺さるような空間を共有することになる。


こんな空間と出会えたことに感謝するのだ。
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鬼門を超える

2008年 04月 24日 (木) | 編集
アラビア半島最後の国、ヨルダンを抜けてこれからエジプトにフェリーで越境する。ヨルダンは期待以上にすばらしい国だった。


カナダオトコ2人と死海へ行って遊んだり、それで翌日、肌が乾燥してカサカサ事件になったり、生理用品を買うのも一苦労した。首都アンマンから世界遺産ペトラの町まで怒涛の移動をして、イスラム家庭に招待されてイスラムカルチャーに驚いたり、共にペトラを回ったオランダ系ユダヤ人かっぽーと宗教の話をして世界の秩序なりを考えたり。

すべてが今でも鮮明に色づいている思い出となり、今でも私のコアな一部になっていることは間違いないわけで、そんな深い経験を持てたヨルダンを今日離れ、これから紅海をフェリーで渡り、念願のエジプト シナイ半島へ移動する。

ヨルダンシリーズ一気読みはこちら から!
                   


エジプト側の港ヌエバアに行くには、ここヨルダンの港町アカバからフェリーで移動をすることになる。共にいるのはペトラの宿で出会い、ここアカバの宿でまたもや偶然再会したアメリカ人旅人の男性2人。彼らはアメリカ西海岸のロースクールの学生で将来国際弁護士になるべくお勉強をしているらしい。 ジェフなんて大学卒業後、日本でいう青年海外協力隊みたいなのに参加して南米に2年間いた後、今度はロースクールに入学したとか、ホント、デキるオトコってこんなんなのね、と思いつつ、そして翌日3人でいよいよ港へ向かった。

このフェリー乗り場ってのが旅人の間でも相当の鬼門として名高いところ。なぜなら・・・

時間通りにフェリーが就航することはまずない

からである。

フェリーはスピードボートとスローボート(大型フェリー)があり、5ドルくらいの差なのだが、スピードボートの方が2時間くらい早く着く。だから私たちも当然スピードボートに乗りたいのだが、何時出発かわからない。それで、宿をチェックアウトするとき、宿のおっちゃんにフェリー乗り場に電話してもらい、今日のスピードボートが何時に出るか確認してもらった。

朝10時に出るらしい。

そう言われて私たち3人、タクシーでフェリー乗り場まで向かった。

すでにクルマの屋根に大量の布団とか荷物を乗せたトラック、乗用車とかが船着場に止まっていて、アラブ人でごった返している。私たちもイミグレーションオフィスビルの2階へ行く。ここでまたもやアラブ文化の適当さをイヤというほど体験させられ、最後には私たち3人、軽くキレ気味になるのだが!!!


フェリーチケット購入、窓口Aへ、

出国手続きを窓口Bで、

そのためのスタンプを購入、窓口Cへ、

出国税支払い、窓口Dへ、

エジプトポンドへ両替、窓口Eへ、

と、1階とか2階のイミグレーションオフィスをたらいまわしにされるのである。ムチャ重いバックパック背負ったまま!!!!! (推定17kg)プラス、前にも小さいリュックも抱えているので、トータル19kgは超えている・・・


特にアメリカ人旅人の1人は相当大きなバックパックを背負ってて(って、彼は体も大きかったのだが)、もう、3人とも最後には『もっと分かりやすく、コンパクトにしてよ!!!!』と、思わずこれは何かの陰謀じゃないか、と思えるくらいの要領の悪さに全身汗だくとなっていた。

フェリーチケットを買うときに私たちは今日の船出発時間を確認した。


『今日はスピードボートは何時出発ですか?』

スタッフ 『午後3時だよ』

『スローボート(フェリー)は?』

スタッフ 『午前10時だよ』

ということで、すでに朝確認したのと話が違うが、アラブ世界、ホントよくある適当さがゆえ、深く追求しないが賢明である。そっか、スローボートの方が5時間も早く出発、さらに安い、なら、スローボートでいっか、と結論になり、

私たち3人はスローボートで移動することになった。


ここから悲劇は始まる。それでようやくパスポートにヨルダン出国スタンプも押され、後は乗船するだけである。午前9時くらい。外のフェリー乗り場待ちのところで、アラブ人がよく食べているポテトチップスとコーラがぶ飲みをしながら待っていた。

10時。スローボート出航予定時間。 動きまったくなし。


ハイ?


スタッフに聞く。 『何時出航なの?』

スタッフ 『maybe soon. もう少しかな』

この適当さ、これぞアラブな世界。 ここでイライラしてたらアラビア半島旅できず。


12時。 予定時刻より2時間遅れ。 まだ乗船の気配一向になし。

そう、このヨルダン~エジプト間のフェリー事情が鬼門と呼ばれ旅人の中でもイチカバチカと言われているゆえんはここである。



とにかくまったく予定が立たない。



それで、午後1時になってようやく乗船できて、その頃には私たち相当グッタリしていた。荷物も適当なクルマ置き場の横に自分で置かされ、パスポートは乗船と同時にクルーに渡す。客はほとんどが家族連れで、それでもって何がすごいって、フェリーの中、廊下も中の売店前フロアも、階段もアラブ人家族でごった返し、まさに足の踏み場がない状態。

みんな雑魚寝をしてたり座り込み、さながら花火大会会場状態なのである。歩こうにも歩けない。

アメリカ旅人2人と私、『これ、火事とか起こったら船とともに終了?』 と話しながらとりあえずレストランに避難した。 (実際、以前このルートでフェリー沈没事件起こっています)ナイスレストランにはある程度金がないと入れないような雰囲気だ。ちなみにまだ船は動いておらず。乗船したけど停泊したまま。しかし船の中の雑踏の中に座ることはできなく、レストランに入り、食事が終わって上のデッキに移動した。 まだ船は動いていない。午後2時くらいか。


するとアメリカ人旅人の1人が、

『ちょっと!スピードボートの方が出航準備してない??』 そうデッキの上から叫んだ。

そう、横に停泊していたスピードボート、こちらのフェリーより予定では5時間も出航が遅いはずなのに、あちらの定時の3時に出そうな勢いであったのだ。

『あっちのスピードボートにチェンジできないか聞いてみよう!!!』


それで3人デッキの下に下り、乗船時にパスポートを預けたデスクに行ってスタッフにジェフが交渉をした。パスポートを返してもらって、隣のボートに乗りたいのだ、ということで。

スタッフ;

『キミたちはすでにパスポートをこのボートの中で預けているから、ヨルダンを出国したことになっているんだよ。だから、もしこのボートを降りるのならばヨルダンの再入国手続きが必要になるんだ』


シェーーーー!!! 言ってる意味は良くわかるがーー!!!





あえなく玉砕。


それでようやくこちらが3時くらいにスローボートがやっと出航したと思ったら、その横をスピードボートが抜いていって、結果、私たちのスローボートが着いたのは結局夜方7時とかであった。


ヨルダンの港に着いたのは朝8時、エジプト到着夜7時。11時間移動。(フェリー就航時間は5時間くらい?)


ちなみに後から会った旅人は、同じ移動でスピードボートだった子はそれが大幅に遅れ、夜11時にエジプト側についた、と言っていた。結局港から宿泊予定の街までタクシー移動したが、夜も遅かったため相当ボラれたらしい。 まさに鬼門。


私も本来の予定では、エジプト側に到着後そのままタクシーで1時間くらい離れたバックパッカーが長期滞在するダハブというダイビングスポットに移動予定だったが、

アメリカ人旅人が一様に口をそろえて

『ヌエバアにあるビーチキャンプはマジですごいいいらしいから、キミも行かなきゃもったいないよ!!!!』

と言われ結局一緒にビーチキャンプをすることに。




ここ後に、私が涙した景色と出会った場所となった。

疲労困憊状態で私たち3人はエジプト シナイ半島ヌエバアのビーチキャンプに移動した。ビーチの上にわらぶき屋根の小屋がたくさん建っていて、それ以外は周りに何もない。海と砂浜だ。
小屋の中は砂の上にカーペット1枚引いてあるだけなのだが、この上で私たちは太陽が昇るまでの短い間、爆睡したのであった。

続く

ヨルダン男の求婚

2008年 04月 21日 (月) | 編集
ヨルダンの首都アンマンからバス4時間待ち+4時間移動を経て、世界遺産ペトラ遺跡を見た。そこで出会ったオランダ人かっぽーと一緒にピックアップトラックのタクシーに乗って、港町アカバへ移動する。いよいよ港町も見えてきた!

前の記事の続きです。 前回はこちら。


ヨルダンのアカバ港は貿易の盛んな港町なので、かなり開けているところ。ダイビングスポットもあったり、港町らしく物価も上がると聞いていた。西日をガンガン浴びてだんだんと車内が蒸し風呂になってくる。車内、サウナ状態。


運ちゃん 『ペトラは海抜が高いけど、アカバはかなり低いからこの辺はペトラよりも暑いんだよね~』

運ちゃん笑っているけど

じゃぁ、クーラー入れてくれ!!!!!


もちろん壊れて使えず(アラビー世界、よくある話)。



同乗していたオランダから来ていたユダヤ人かっぽーはイスラエルに住んでいるので私とは違うところで降りる。アカバはイスラエルとエジプトへ越境ができるボーダーがあるのだ。昨日、一日かけてペトラ遺跡を回りたくさん話した私たち。別れ際にバックパックに入れていた日本からの土産のさるぼぼの人形をあげたら2人ともすごく喜んでくれて、

『あなたのような日本人にはアムステルダムでも会ったことないわ! ぜひ結婚式に来て欲しい!!』

と本気で言ってくれた。 もちろん後に行けなかったけども、その代わり後日、日本からウェディングカードを送りました。
さて、イスラエルのボーダーでオランダ人かっぽーを降ろしたタクシー運ちゃん。太陽もそろそろ傾きかけ夕暮れとなり、入り江も赤く染まってきた。


運ちゃん 『前あいたからこっち移動したら?』



カーン! 




    カーーン!!

  

         カーーーン!!!




(警戒警報鳴り始める)


私 『・・・。』 


後ろのシートに座っていた私。 カーーー・・・ 前に行くとややこしーこととかになりそうな予感がする。アラブオトコのセクハラ、結婚ネタ、ボーイフレンドいるの詰問等々の経験が甦る・・・ でもお茶もゴチソウしてくれていい人だったしなぁ。それで前のシートに座っていると運ちゃん話しかけてくる。 私からはあまりリアクションを返さないでいた。

私 『このガイドに載っている○○っていう安宿に行きたいんだ』

運ちゃん 『OK!お勧めもあるけど、そっちでいいんだね?』

港町アカバは一気に宿代も上がるし、もうヨルダンの現金もあまり残っておらずムダに使いたくなかった私。 タクシーを走らせる。そしてここで数ヶ月、アラビア半島を旅ってて何度聞かれたか知れない言葉を、案の定言ってきた運ちゃん。

運ちゃん 『・・・。 キミは本当、美人だよね。』

ハイハイ、キタキタ、お決まり文句。もう旅で何度聞いた言葉か知れず。 どこに言っても言ってくる男性陣。これは決して私が美人だ、ということを言っているのではない、満遍なく多くの女性旅人は言われている言葉だ。

私 『・・・。』 

反応を返さない私。運転しながらチラ見をする運ちゃん。 完全に窓の外に顔を向ける私。そしたら突然運ちゃん、ガツッと私の手をにぎってきた。


イスラム世界でこれがどんだけのセクハラか!!!!!!

私 『Don't touch me!! さわらないでよ!!』

静かにキレる私。 手を思いっきり振りほどく。ハァ~~~~~ もぉーせっかくいい運ちゃんと思っていたのにどうして最後の最後にこうなるわけ???? しかしここで大げさにキレて、タクシー降ろされたりしたらそれはそれで困る。

運ちゃん 『sorry・・・』

シーーン、静かな車内。 運ちゃんおもむろに言葉を発する。

運ちゃん 『僕が結婚を申し込んだら結婚してくれる?』


ハ? 結婚?? ってか、第2婦人ですか??? イスラム教では多妻制を認めている。でも最近では多妻な男性は少ないらしい。なぜなら実際相当な金を持っていないと難しいからだ。 すべての嫁さんは平等に扱わなきゃいけないので、もし嫁さんにクルマを買ったら同じように他の嫁さんにもしなきゃいけないし、平等に愛さなくてはいけない。


私 『結婚って。 それはできないよ。』

だんだん疲れてくる私。 どこまで本気かわからないが冷静にコトを判別してしてくれ、いい大人なのだから・・。

運ちゃん 『僕はお金もあるし、キミはここで働かなくても暮らせるんだよ?』

私 『私、ヨルダンには旅できているわけで、これからまだまだ旅も続けるし、それに結婚って全然考えてないから』

とりあえずこころで強制下車されても困るので、ヤンワリとハッキリ断る。しかし顔は完全 NO の鬼の形相をしていた私。第二婦人? 黒い覆面して? 男性の所有物になれと?


ソラーーームリーーー!!!!!

運ちゃん黙る。

そしたら運ちゃん、上を向き始めた。 ええ?今度はナニ???


運ちゃんの方に顔を向けたら、




運ちゃん、鼻血を出してた。



私 『どうしたの?大丈夫?』

上を向きながらタオルで止血をしている運ちゃんを見る。ちょっと!おっさんが鼻血を出しているところなんて初めて見たわよ!ドリフ以来よ!

運ちゃん 『よくあることだから』

ハァ? しょっちゅう鼻血ですか????

この人、のぼせているのかなんだか知らないけど、もう面倒になってきた。それ以後、一切話しをしなかった。


アカバの町に着いた。 久しぶりに見た海。あ~~ 落ち着く!


運ちゃんが有名な安宿がある、ということで最初そこに連れて行ってくれて、アラビア語でディスカウント交渉をしてくれていたらしいが(多分紹介すれば運ちゃんにキャッシュバックが入るんだろうけど)、思っていた以上に高かったので諦める。それで私のリクエストの違う安宿の近くまで走ってもらい、そこでタクシーを降りた。



猛烈暑いアカバの狭い商店街のようなところを抜けてお目当ての宿に着いてチェックインをしようとした。

『ちょっと待って』

とデスクで言われたきり、アラブ人オトコはそのまま友達らしき人と笑いながらしゃべっている。


プチーーーン。 

タクシーの中でヒト騒動もあったことで、私、結構イラついていた。それでそのままその宿を出て、先ほど運ちゃんが連れて行ってくれた最初の宿に歩いた。すると宿のおっちゃん、もう少しディスカウントしてくれてようやくチェックイン。 ベッドが2つあって扇風機もTVもある部屋だった。 


相当久しぶりの1人部屋だ。 今までドミトリーと呼ばれる相部屋だったため、まずはここぞとばかりに洗濯したり、シャワって水浴びて、ベッドに横になる。しかし本当に暑くてたまらない。部屋の石壁が熱を持っている状態。遠赤外線サウナである。窓を開けても熱風、室内はサウナ。ベッドに寝ていると汗をかいてくる。扇風機があるだけマシなリッチな部屋だなぁ。
ああ、今夜は久しぶりにアジア料理が食べたいと思って、それで中華でも行こうと思っていた。


下のラウンジに階段を下りる。


そこで・・・ 驚いた。


前の宿のペトラで出会ったアメリカ人旅人2人がちょうどチェックインをしているじゃないか!!!!! 階段を下りた私と目が合う2人。 驚く私たち。そうだ、私たちは昨日、違う宿で夜、一緒にサッカーを見に近くの店まで行っていたのであった。予期せぬ場所で再会である。

私 『今、着いたの?』

アメリカ男A『キミもここだったの?』

すごい奇遇だ。私が持っていた地球の歩き方には載っていない宿に私はたまたまチェックインしてて、それでたまたま階段を下りたらそこに、あの2人がたまたまいたなんて! アカバは安宿街というものがなく、結構散らばってある中でこの宿で再会できたのはとても偶然だ。

私 『今からご飯食べに行こうと思ってて。』

それで結局一緒に行くことになり、 『アラビアンマックを食べよう』 と言うことで、ヨルダンのマクドナルドに行きアカバの夜の町を一緒に歩いた。ちなみにアカバにあったマクドナルドは車でデリバリーをしてくれるらしく、お店の前にマックテイストの軽自動車が止まっていた。日本にあったらかなりの需要があるだろうが、元が取れないであろうけど。

明日は共にエジプトへフェリー移動することになるのだが、これまたスッッゴーーーーーーイ大変な移動となる、嵐の前の静けさのような夜は更けていったのだった。

続く

イスラム家庭に招待される

2008年 04月 18日 (金) | 編集
ペトラ遺跡を終日かけて回った私ですが、そのお話はまとめて違う機会に書きたいと思います。それは想像を遥かに越えた空間で、それは今でも堂々と私の記憶の中で息づいています。

私の旅予定だとヨルダンの次はいよいよ紅海を渡ってエジプトに移動だった。待ちに待ったエジプト!!ヨルダンにある崇高名高き世界遺産ペトラを回ったあと、本来私はそこでもう1泊して翌日の朝にエジプトへ渡る港町アカバまで移動しようと思っていた。そしたら夕食時に何気なく話したオランダ人かっぽー(40歳くらい?)が、明日ペトラを回ったあと同日中にアカバ港まで移動すると言う。

夜、バーでサッカーを一緒に見たアメリカ人旅人2人も明日、ペトラを見た後、そのままアカバまで移動するとか。

そっか、その方が確かに時間短縮できるよなぁ・・・。私は当初、明日、ペトラを見たあと、もう1泊して、翌日に移動しようとしていたが、ペトラを見てから移動することは確かに可能である。そこでペトラを回る日の早朝、たまたまペトラまでクルマで送ってもらう時間が一緒だったオランダ人かっぽーと一緒に一日かけてペトラを回ってから、彼らと一緒にアカバ港までタクシーで移動することにした。


灼熱のペトラ遺跡をロバにも乗らず7時間砂漠の遺跡、インディ・ジョーンズ並みの探検から戻った夕方4時近く、砂と汗まみれのカラダを水シャワーで流した頃、タクシーの運ちゃんが迎えに来た。どうもこの運ちゃんとかっぽーは既に顔見知りで、だから港までもお願いしたらしい。とりあえず何事もスロウなアラブ文化、こちとら早く港へ行きたいっちゅーのに運ちゃん、

運ちゃん 『ウチに寄ってお茶でもまず飲んで行きなよ!』

と言い、自宅に招待するとか言い出す。 客人にはお茶をもてなす、これアラビー文化。

しかし私としては心の中で

私 (こんなんで睡眠薬とか入れられて身包みはがされたらどうなるのよーー!!!!)

と警戒をしていた。


なんせ私、トルコのイスタンブールに着いた初日に、宿が大騒動になっていてどうしたのか聞いたら、ちょうどその日、宿にチェックインしたばかりの日本人女性バックパッカー(推定35歳、明らかにパッカー初心者な感じであった)睡眠薬強盗にあった、ということで、というか、睡眠薬強盗で有名なタキシム広場で、会ったばかりのトルコ人オトコと仲良くなり、それで自宅についていって、睡眠薬入りのお茶ゴチソウになってお金とパスポート取られました、というのを聞いたばかりである。

宿には人相図まで貼られて注意されてたのに、見ず知らずの男性の家に上がりこんでお茶をもらってはやはりいけないと私は思うのだが。


それでここヨルダンでも私は『ここは茶ぁ~なんか飲んでいらんない!!』と思って、それでオランダ人かっぽーに聞いたら

オランダ女性 『この間もご自宅に行ったから大丈夫よ、彼は信用できるから』

って、それ、安心させるためのテクじゃないの???!! とまた疑う私でしたが、結局普通のファミリーで、私も普通に茶をいただいた(←オイ)。


お茶を飲みながら運ちゃんと話していたのだけど、、、 アレ? 


なんか・・・ヘン?? 

違和感を感じた私。


そして気がついた、

ああ、イスラム文化だったんだ、ココは!!


その違和感とは・・・。



私たちがタクシーの運ちゃんの家に来たとき玄関で奥さんが出迎えてくれて、そしてお嬢さんもオランダ人かっぽーや私に挨拶をしてくれ、そしたらかわいい4歳くらいの女の子まで現れて歓迎ムードであった。いわゆるお姉さんの子供、みたいな感じで大家族なわけだ。

それで、リビングで床に座っていたら、運ちゃん、お茶を運んできた。

運ちゃんがついでくれる。 続いてかわいいチッサイ女の子がナツメヤシを持ってきた。甘く煮込んである、アラブ世界ではどこでも見かけるお菓子。(私には甘すぎて食べられず相当苦手であったが)

そこで私としては、

私 『奥さん、あっちで何か用意でもしているのかなぁ』

と、なかなかリビングに来ない奥さんたちが来るのをずっと待って、私お茶に手をつけずにいたのだけど、


そう、ココです、ココ!! 違和感を感じたのは!!!


私の感覚としては玄関で迎えられ、そして家族に紹介してもらい、ゲストが来たのだから当然奥さんも娘さんも客人をもてなすのかと思っていたので、それでリビングに来るのを待っていたのだけど女性は奥の部屋に控えている、嗚呼、コレ、イスラム文化だった!!!


いくら待てど、そらー来るわけない。さっそく運ちゃんに聞いてみた。

私 『ああ、ワカッタ!私、彼女たちが来ることを待っていたのだけど、そうか、女性はこちらの部屋で一緒にゲストをもてなすことができないんだね?』

運ちゃん 『こちらの部屋には入ってこれないんだよ。』

小さい女の子と子供はこちらの部屋にいたけど、女性たちは奥の部屋でTVを見ていて、帰り際にお礼をしてからのぞいたけども、普通に奥の小さい部屋で女性4人が座ってた。男性オーナーの客人には、たとえそのゲストが女性だろうが他宗教だろうが、イスラム女性の家族は奥の部屋で控えなければいけないのである。


自己主張激しい私としては、髪の毛しまって肌も見せず、男性の客人の前では没自分 in ヨルダン、なんかなった日にはストレスで死んじゃう・・と本気で思った。
(あくまで私の性格から言っての話なので、イスラム教徒の方とのご結婚を批難しているとかでは決してありません。地域、ご家族それぞれ違いますし、あくまでこのご家族で経験した私の体験談です。)

そしてお茶もいただいたところでそろそろ出発となった。 イスラム家庭に初めてあがったのだけど、天井もモザイクになっていて石造りのとても涼しい空間だった。


ピックアップトラックに私の大きなバックパックがジャンプしながら乗っかってる。途中、何度も後ろを振り返りながら、自分のバックパックが落ちていないか確認しながら(どんな移動だ)。

そしてアカバ港に着く前にこれまた運ちゃん、おもしろネタを提供してくれた。

その話は次に続く

ブログ開設!

2008年 04月 12日 (土) | 編集
『世界は1冊の本だ。 旅をしない者はその本の1ページしか読めないだろう』

4世紀の古代キリスト教の神学者であり、哲学者であった、かのアウグスティヌスは旅人とか、バックパッカーという無職だけど、所属;地球 な私たちにこの上ないナイスフォローな言葉を残してくれている。両親には散々、『フラフラ旅行して!(しかも1人で!)』と怒られたりしながらもバックパックを背負って旅っていた私だが、旅をするのをやめられない理由はきっと私は世界という本を読んでいるからなのだろう。おぉ、文章にしたらもっともらしく聞こえるじゃないか!

と、硬い言い方からはじめてしまったけども、ここのウェブサイトも無事にOPENして、今後はこのブログから世界のアレコレを情報発信して行きたいと思っている。 
実は今まで違うところでブログを書いていたが、ウェブ公開と同時に引越し+書き直しをしたので、以前のものとは違ったものとしている。


現在、2009年3月出発予定で世界一周の取材の旅を予定している私、そのため今年の1年はカメラの勉強したり、またライターの勉強をする年と設定している。
そして何より、やはり心配している両親に私が長期で旅をする理由を納得して欲しいため、その準備期間となっているのだ。


私がまだ大学1年生のとき、帰国子女の恋人の実家がカリフォルニアにあるということで、その夏初めて海外旅行をした。このとき受けた衝撃は、まさに私の世界観をひっくり返すものであった。


空ってこんなに広いんだ

夕日って、こんなにも激しく燃え上がるものなんだ

世界にはこんなにもたくさんの人種がいるんだ


当時の私は英語が話せず人とのコミュニケーションもウマくできなかったが、それから毎年海外旅行をすることになり、そして遅ればせながら20歳のときニュージーランドをバックパッカーで回ってから、個人で旅をする楽しさを知ってしまったのである。

そしてさっそく『自分の人生に英語は必須』と得意の思い込みが始まる私、映画TITANICを映画館で13回乗船し(TITANICファンは映画を見る、といわず、乗船、というマニア語を使用)、さらにビデオを繰り返し見ていたらセリフを覚え、気がついたら英語が話せるようになっていた。そのまま大学卒業後にアメリカのカレッジに入学して、GOONIESの映画が大好きだった私は、西海岸を散々旅行するのである。 実際留学中に勉強したプログラミングやらは今となってはまったくもって覚えていないし、その後使うことは一度もなかった。 親もいまだに『そういえば何しに留学したの?』と聞いてくる。『はい、国立公園たくさん行ってキャンプして、どこまでも続く海岸線で夕日を見て、GOONIESゴッコもしてきました。まぁ勉強もしたけど。』と言ったら、海外一人旅をするたびに反対する両親にしたら、留学させたことを後悔してしまうかもしれないのでそれは言わないでおいている。まぁ、間違いなくバレていると思うが。


社会人になってからもバックパッカーで世界遺産をグルリと見たくて、仕事を辞めて4ヶ月ほど数十カ国をまわったり、長期休みを使ってアジアをまわったり北米行ったりオセアニア行ったり、ある年は冬にカナダのトロントにいて、5ヵ月後にポルトガルの最西端にいたり、地球をグルグルしていた年もあった。


バックパッカーで旅をしていると、自分の魂と語る時間も増える。

本当の意味で自分が探していたものをある朝もやの中で見つけたりする。

自分の家族がどこまでも無償に愛してくれていることを実感する。

人の温かさに胸がつまり、泣きそうになることがある。

砂漠の一握りの砂も私も、何一つ変わらないただの同じ存在ということを知る。

壮大な地球の姿や人類の歴史と言える世界遺産の遺跡の前で、ときに心が裸になって、猛烈な感動を受けることがある。


そしてまた旅に出てしまう。



ここのブログでは世界一周に出てからも写真交えて情報発信していきます。
今後ともどうぞよろしくお願いします!
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