女性器切除、廃止の動き
2008年
06月
25日
(水)
|
編集
女性性器切除(FGM)をされる少女はアフリカ全域だけでも、29カ国で約1億3500万人が受けていると推定される。
つまりこれは、毎年約200万人、毎日約5500人が受けているということ。
アフリカ大陸全域の女性3~4人に1人は経験者ということだ。
世界保健機関(WHO)推定
死産防止、結婚相手としての価値向上、女性の性欲を抑制などという理由、そして村落で長く続くしきたり、風習、文化として続けられている、女性の性器切除。
クリトリスを切ってしまうだけでなく、ときに性器全体を、カミソリ、ガラスの破片、缶詰のふたで、
しかもそれは麻酔も消毒液もない状態で、今、この瞬間にでも行われている。
これをその土地の習慣、しきたりとしてあるがままにさせておくべきなのか。 それとも、健康を脅かし、死に直面するような 『無意味な野蛮行為』 として先進各国が廃絶運動を続けるのか。
それを今、このブログで討論することはとてもじゃないけどもできないけども、少なくとも【知る必要がある事実】だと思います。
ぜひ前回の記事 こちら からお読みください。
エジプトのサハラ砂漠キャンプ。 まさかこの夜、砂漠の民 ベドウィンの男性ガイドから、女性性器切除(FGM: Female Genital Mutilation。以下FGMと表記します) の事実をナニゴトもなく聞かされるとは思っていなくて、
今まで火を囲んでエジプト、韓国、ニッポンのシモネタトークで大笑いしていた時間が一瞬で凍りついた。
前回までの記事で、FGMの 実状、理由、後遺症について話しました。
これを単なる伝統で容認するのか? それとも野蛮な因習として廃絶させていくのか?
現在、世界的には廃絶運動をアフリカ各国に対して起こしている。
参考図書:
子どもたちのアフリカ―“忘れられた大陸”に希望の架け橋を /石 弘之
◆ FGM廃絶への高まり
世界的に関心が高まったきっかけは 『国連女性の10年』 で、1975年から10年、欧州各国を中心にFGM廃絶キャンペーンをおこし、アフリカの容認派 vs NGOや国際機関 の論争が続く。
1990年代に入り、もっと世界的に関心が高まり、廃絶運動に対する国際的な支援も集まって、国連女性会議でも
『FGMは女性への暴力、健康破壊、人権侵害、女児への悪習である』
と決議された。
1990年代って私がちょうど、中学生、高校生のとき。
私がもしアフリカに生まれていたら、選択権なく、当然のごとく、FGMを受けさせられていたわけだ。 その頃、やっと国連だのNGO団体が 『それおかしくないか?』 と言っていたわけで。
たんに、『私は日本に生まれて良かった』 と言えない私がここにいる。
ラッキーなんかですまされるものであっていいのだろうか、人権って?
◆ 法の制定
各、国際機関、現地でのNGOの活動、国際決議により、やっと、そう、やっと、2000年以降、アフリカ各国でも法律でFGMを禁止する国が増えてきた。
2003年現在、
1994年 ガーナ
1995年 エチオピア、 ブルキナファソ、 ジブチ
1997年 コートジボワール
1998年 トーゴ、タンザニア
1999年 セネガル
2000年 ギニア
2001年 ケニア、モーリタニア
2002年 マリ
2003年 ベニン、チャド
14カ国(/29カ国)。 でもこれまでFGMを行って逮捕された例はほとんどない。
結局、政府自体も、法的規制には抵抗があるから!!!!
ここまで読んでくださっている方々ならお分かりの方もいるでしょう。
理由--
その村落で女性はFGMを受けることが当然、という慣習をかたくなに守ってきた人々を、法律という特にアフリカで意味をあまりなさないもので、廃絶することは到底無理な話だから。
実際、ケニアの建国の父で人類学者の元ケニア大統領、故ジョモ・ケニヤッタも、彼の自叙伝の中でこう言っている。
『FGMはキクユ族の重要な通過儀礼で、この廃止は部族のアイデンティティに関わる』
そう、どこまでもどこまでも根深いものがある。
事実、女性自身も"被害者" という意識は低いのだ。
だから現地NGOは
『なぜそのような法律が人々のためになるのか』
という理由を知ってもらう、教育キャンペーンを行っているのです。
女性が意見、主張を持ち、教育を受け始めたら面倒なことになるのは男性。 今のまま女性は奴隷のごとく働き、人権を持たせない方がラク。
他国が騒ぐ現地の 『それはおかしい』 なんてこと、現地の男性がそれを人権うんぬんという思想の元に下に変えていくのかどうか、相当疑問は残ります。
つまりこれは、毎年約200万人、毎日約5500人が受けているということ。
アフリカ大陸全域の女性3~4人に1人は経験者ということだ。
世界保健機関(WHO)推定
死産防止、結婚相手としての価値向上、女性の性欲を抑制などという理由、そして村落で長く続くしきたり、風習、文化として続けられている、女性の性器切除。
クリトリスを切ってしまうだけでなく、ときに性器全体を、カミソリ、ガラスの破片、缶詰のふたで、
しかもそれは麻酔も消毒液もない状態で、今、この瞬間にでも行われている。
これをその土地の習慣、しきたりとしてあるがままにさせておくべきなのか。 それとも、健康を脅かし、死に直面するような 『無意味な野蛮行為』 として先進各国が廃絶運動を続けるのか。
それを今、このブログで討論することはとてもじゃないけどもできないけども、少なくとも【知る必要がある事実】だと思います。
ぜひ前回の記事 こちら からお読みください。
エジプトのサハラ砂漠キャンプ。 まさかこの夜、砂漠の民 ベドウィンの男性ガイドから、女性性器切除(FGM: Female Genital Mutilation。以下FGMと表記します) の事実をナニゴトもなく聞かされるとは思っていなくて、
今まで火を囲んでエジプト、韓国、ニッポンのシモネタトークで大笑いしていた時間が一瞬で凍りついた。
前回までの記事で、FGMの 実状、理由、後遺症について話しました。
これを単なる伝統で容認するのか? それとも野蛮な因習として廃絶させていくのか?
現在、世界的には廃絶運動をアフリカ各国に対して起こしている。
参考図書:
子どもたちのアフリカ―“忘れられた大陸”に希望の架け橋を /石 弘之
◆ FGM廃絶への高まり
世界的に関心が高まったきっかけは 『国連女性の10年』 で、1975年から10年、欧州各国を中心にFGM廃絶キャンペーンをおこし、アフリカの容認派 vs NGOや国際機関 の論争が続く。
1990年代に入り、もっと世界的に関心が高まり、廃絶運動に対する国際的な支援も集まって、国連女性会議でも
『FGMは女性への暴力、健康破壊、人権侵害、女児への悪習である』
と決議された。
1990年代って私がちょうど、中学生、高校生のとき。
私がもしアフリカに生まれていたら、選択権なく、当然のごとく、FGMを受けさせられていたわけだ。 その頃、やっと国連だのNGO団体が 『それおかしくないか?』 と言っていたわけで。
たんに、『私は日本に生まれて良かった』 と言えない私がここにいる。
ラッキーなんかですまされるものであっていいのだろうか、人権って?
◆ 法の制定
各、国際機関、現地でのNGOの活動、国際決議により、やっと、そう、やっと、2000年以降、アフリカ各国でも法律でFGMを禁止する国が増えてきた。
2003年現在、
1994年 ガーナ
1995年 エチオピア、 ブルキナファソ、 ジブチ
1997年 コートジボワール
1998年 トーゴ、タンザニア
1999年 セネガル
2000年 ギニア
2001年 ケニア、モーリタニア
2002年 マリ
2003年 ベニン、チャド
14カ国(/29カ国)。 でもこれまでFGMを行って逮捕された例はほとんどない。
結局、政府自体も、法的規制には抵抗があるから!!!!
ここまで読んでくださっている方々ならお分かりの方もいるでしょう。
理由--
その村落で女性はFGMを受けることが当然、という慣習をかたくなに守ってきた人々を、法律という特にアフリカで意味をあまりなさないもので、廃絶することは到底無理な話だから。
実際、ケニアの建国の父で人類学者の元ケニア大統領、故ジョモ・ケニヤッタも、彼の自叙伝の中でこう言っている。
『FGMはキクユ族の重要な通過儀礼で、この廃止は部族のアイデンティティに関わる』
そう、どこまでもどこまでも根深いものがある。
事実、女性自身も"被害者" という意識は低いのだ。
だから現地NGOは
『なぜそのような法律が人々のためになるのか』
という理由を知ってもらう、教育キャンペーンを行っているのです。
女性が意見、主張を持ち、教育を受け始めたら面倒なことになるのは男性。 今のまま女性は奴隷のごとく働き、人権を持たせない方がラク。
他国が騒ぐ現地の 『それはおかしい』 なんてこと、現地の男性がそれを人権うんぬんという思想の元に下に変えていくのかどうか、相当疑問は残ります。
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女性割礼の事実
2008年
06月
23日
(月)
|
編集
いったいどこまで続くのか。 考えることが無意味に思えてくる、このサハラ砂漠。静かな大地に直接座って無機質な砂の温かさを感じる。
風は静かに頬をなでるけど、
そこに草も木もないけども、
目の前で薪が燃える音と炎。それを感じる熱。 今、私がこの広い地球で存在しているということを思い出させてくれる。
そんな夜を過ごしたエジプトの砂漠キャンプで、砂漠の民、ベドウィンの男性から私は衝撃的な言葉を聞く。
女性割礼。
女性の性器を切除するということ。
『クリトリスを切っちゃうんだよ。 女性があまり感じすぎないためにね』
さっきまでみんなで話していた同年代の20代が話す普通のシモネタから一気に目が覚めた私。 聞いたことはあったけども、直接聞いのはこれが最初だった。
笑いながら話す、その事実にショックを覚え、そして最近読んだ本でその実態をさらに知った。
前回の続きです。 ぜひ こちら から読んでいただきたいです。
最初に申し上げると、私は人権団体とか、なんとか協会とか、そういう活動家ではないのと、この分野の専門家でもないです!
あくまで私が経験した内容と、読んだ本から引用した事実を、個人ブログのイチ記事にしているだけです。
内容訂正、コメントがあったらぜひ残してください!
参考図書:
子どもたちのアフリカ―“忘れられた大陸”に希望の架け橋を
砂漠の女ディリー
◆ 女性性器切除の実態
広く世界に知られるようなったきっかけは、1998年に出版された元スーパーモデル、ワリス・ディリーの自伝、『砂漠の女ディリー』 が各国で出版されたことだった。
ソマリアの砂漠の遊牧民であった彼女が、ラクダ5頭の為に60代の男性と結婚させられそうになったことから逃げ出し、その後数奇な運命をたどり、スターダムをかけあがり、一流スーパーモデルまで上りつめる半生を書いている。
そこに書いてある彼女の生々しい表現がスゴイ。 彼女はクリトリスだけではなく、女性の性器全部を取られている。
『(切除直後の)次の排尿のときまで、私は苦悶のときはもう終わったと思っていた。(略)
最初の1滴が出てきたとき、皮膚が酸に溶かされたような痛みが走った。性器を切り取って縫合した後には、マッチ棒の直径ほどの小さな穴が2つ開いているだけだった。 (略)
このすばらしい方策のおかげで、私たちは結婚するまでダレともセックスできない。夫となる人は、処女を保証されるというわけだ。』
彼女が書いているように、女性器切除の方法にはいくつかある。世界保健機関(WHO)が分類しているのは4つ。
1.クリトリス切除方式
クリトリス全部と小陰唇(膣周りのヒダ)の一部、あるいは全部を切除。広く一般的に普及、全体の80%がこの方法。
2.スンナ方式
クリトリスの一部、もしくは全切除。切り込み。全体の5%ほど。
そして一番痛々しいのが、ディリーも施術された、
3.外性器縫合方式
クリトリスと小陰唇切除、大陰唇の内側の皮膚をそぎ落とし、穴2こを残すのみ。見た目はのっぺりする感じ。 全体の15%だが、女性の心身への影響は一番大きい。
4.その他
赤ちゃんの処女膜切除等。
しかも驚くべきことは、施術するのは村の助産婦がするのが主であるが、そのほか先輩女性、鍛冶屋、床屋、長老が行ったりで、そのほとんどが麻酔も消毒もなし、さらにカミソリ、ナイフ、ハサミ、ガラスの破片、缶詰のふたなどで施術するのだ。
これは村のしきたり、慣習、信仰が複雑に絡み合って、ずっと長い間続いてきたもの。それを批難するのは、もしかしたら先進国の人間の異文化に対しての圧迫かもしれないけども・・・
そこについてこのブログ上で議論することはとてもじゃないけどもできないし、私もハッキリと意見が言えるわけではないので、今回の記事ではその部分より、まず事実を伝えたいと思っています。
◆ なぜ女性割礼は性器を切るのか?
男性の割礼とは、たいてい男性器の皮の部分を切り取るだけ。しかし女性の場合は、感じさせなくするために切ってしまうわけです、クリトリスを!性器自体を!! (缶詰のふたで!!!!)
この女性器切除は地域、部族により意味づけが異なっている。
1.女性や子供の健康のため
性器の衛生保持
死産防止
女性の健康増進(ウツやヒステリー防止)
2・女性の価値向上
処女性と貞操を守る
結婚相手としての価値向上
女性の性欲を抑制
成熟した女性としての慣習
死産防止って意味がわからない!!!
結婚相手、って女性はモノ?? ・・・ いや、ここはアフリカ・・・。
女性は男性の財産の一部だ。
ニッポンオンナがここでワーワー言っても何も始まらない。 何もかも、女性は男性のため、男性のもの。
さらに驚きなのが、このアフリカ、やはり教育の重要性を痛感させるのが、
『男性器がクリトリスに触れると腐ってしまう』
『出産時にクリトリスに赤ちゃんが触れると死ぬ』
『切除しないと妊娠できない』
とか、
もう、何でもかんでもオンナが悪いわけで、確かに、病気も悪霊の仕業と思っていたり、処女と性行為すればエイズは治ると思っているような思想の中で、とにかくこの瞬間にでも、女性はベルトコンベア式に性器を取られていっているのである。
◆ 後遺症
出血、感染症などの身体的後遺症が残るのは容易に想像できる。しかし私が本を読んでいて血の気が引いたのが
結婚初夜の初行為。 男性がムリヤリそこに入れてくる。
著者自身も実際、エチオピアの奥地の農村に泊まっていたとき、夜、すさまじい女性の叫び声が聞こえたらしい。女性が激痛に耐えているのだ。 男性自身も、うまくいかないとのちのちまで軽んじられるため必死なのだと。
この話を友人に話した。
『アフリカは今でも暗黒大陸だよ。 今世紀ですべてが解決できるほど簡単なことではない。 おまえが1日、2日で変えられるところではないよ。』
哀しいけども、実際その通りだと思う。 彼は私がこの分野にガッツリ入りこんでしまうことをちょっと心配していた言葉だった。
貧困、民族紛争、戦争、犯罪、政治、経済、エイズ、厄病、教育、 何もかもが絶望的に絡まりあい、アフリカの子供たちは、たとえ生き延びたとしても、違う問題に次々へと直面していく。
女性の未来はもっと暗く危険にさらされている。 この本には、さらにアフリカの子供たちが直面してる、もっと複雑な問題が書かれていて、私は本当に空虚な気持ちなるとはまさにこのことか、と通勤電車の中で何度も本から顔を上げた。
次は、この女性性器切除の世界的廃絶運動について書いてみます。
次へ続く
風は静かに頬をなでるけど、
そこに草も木もないけども、
目の前で薪が燃える音と炎。それを感じる熱。 今、私がこの広い地球で存在しているということを思い出させてくれる。
そんな夜を過ごしたエジプトの砂漠キャンプで、砂漠の民、ベドウィンの男性から私は衝撃的な言葉を聞く。
女性割礼。
女性の性器を切除するということ。
『クリトリスを切っちゃうんだよ。 女性があまり感じすぎないためにね』
さっきまでみんなで話していた同年代の20代が話す普通のシモネタから一気に目が覚めた私。 聞いたことはあったけども、直接聞いのはこれが最初だった。
笑いながら話す、その事実にショックを覚え、そして最近読んだ本でその実態をさらに知った。
前回の続きです。 ぜひ こちら から読んでいただきたいです。
最初に申し上げると、私は人権団体とか、なんとか協会とか、そういう活動家ではないのと、この分野の専門家でもないです!
あくまで私が経験した内容と、読んだ本から引用した事実を、個人ブログのイチ記事にしているだけです。
内容訂正、コメントがあったらぜひ残してください!
参考図書:
子どもたちのアフリカ―“忘れられた大陸”に希望の架け橋を
砂漠の女ディリー
◆ 女性性器切除の実態
広く世界に知られるようなったきっかけは、1998年に出版された元スーパーモデル、ワリス・ディリーの自伝、『砂漠の女ディリー』 が各国で出版されたことだった。
ソマリアの砂漠の遊牧民であった彼女が、ラクダ5頭の為に60代の男性と結婚させられそうになったことから逃げ出し、その後数奇な運命をたどり、スターダムをかけあがり、一流スーパーモデルまで上りつめる半生を書いている。
そこに書いてある彼女の生々しい表現がスゴイ。 彼女はクリトリスだけではなく、女性の性器全部を取られている。
『(切除直後の)次の排尿のときまで、私は苦悶のときはもう終わったと思っていた。(略)
最初の1滴が出てきたとき、皮膚が酸に溶かされたような痛みが走った。性器を切り取って縫合した後には、マッチ棒の直径ほどの小さな穴が2つ開いているだけだった。 (略)
このすばらしい方策のおかげで、私たちは結婚するまでダレともセックスできない。夫となる人は、処女を保証されるというわけだ。』
彼女が書いているように、女性器切除の方法にはいくつかある。世界保健機関(WHO)が分類しているのは4つ。
1.クリトリス切除方式
クリトリス全部と小陰唇(膣周りのヒダ)の一部、あるいは全部を切除。広く一般的に普及、全体の80%がこの方法。
2.スンナ方式
クリトリスの一部、もしくは全切除。切り込み。全体の5%ほど。
そして一番痛々しいのが、ディリーも施術された、
3.外性器縫合方式
クリトリスと小陰唇切除、大陰唇の内側の皮膚をそぎ落とし、穴2こを残すのみ。見た目はのっぺりする感じ。 全体の15%だが、女性の心身への影響は一番大きい。
4.その他
赤ちゃんの処女膜切除等。
しかも驚くべきことは、施術するのは村の助産婦がするのが主であるが、そのほか先輩女性、鍛冶屋、床屋、長老が行ったりで、そのほとんどが麻酔も消毒もなし、さらにカミソリ、ナイフ、ハサミ、ガラスの破片、缶詰のふたなどで施術するのだ。
これは村のしきたり、慣習、信仰が複雑に絡み合って、ずっと長い間続いてきたもの。それを批難するのは、もしかしたら先進国の人間の異文化に対しての圧迫かもしれないけども・・・
そこについてこのブログ上で議論することはとてもじゃないけどもできないし、私もハッキリと意見が言えるわけではないので、今回の記事ではその部分より、まず事実を伝えたいと思っています。
◆ なぜ女性割礼は性器を切るのか?
男性の割礼とは、たいてい男性器の皮の部分を切り取るだけ。しかし女性の場合は、感じさせなくするために切ってしまうわけです、クリトリスを!性器自体を!! (缶詰のふたで!!!!)
この女性器切除は地域、部族により意味づけが異なっている。
1.女性や子供の健康のため
性器の衛生保持
死産防止
女性の健康増進(ウツやヒステリー防止)
2・女性の価値向上
処女性と貞操を守る
結婚相手としての価値向上
女性の性欲を抑制
成熟した女性としての慣習
死産防止って意味がわからない!!!
結婚相手、って女性はモノ?? ・・・ いや、ここはアフリカ・・・。
女性は男性の財産の一部だ。
ニッポンオンナがここでワーワー言っても何も始まらない。 何もかも、女性は男性のため、男性のもの。
さらに驚きなのが、このアフリカ、やはり教育の重要性を痛感させるのが、
『男性器がクリトリスに触れると腐ってしまう』
『出産時にクリトリスに赤ちゃんが触れると死ぬ』
『切除しないと妊娠できない』
とか、
もう、何でもかんでもオンナが悪いわけで、確かに、病気も悪霊の仕業と思っていたり、処女と性行為すればエイズは治ると思っているような思想の中で、とにかくこの瞬間にでも、女性はベルトコンベア式に性器を取られていっているのである。
◆ 後遺症
出血、感染症などの身体的後遺症が残るのは容易に想像できる。しかし私が本を読んでいて血の気が引いたのが
結婚初夜の初行為。 男性がムリヤリそこに入れてくる。
著者自身も実際、エチオピアの奥地の農村に泊まっていたとき、夜、すさまじい女性の叫び声が聞こえたらしい。女性が激痛に耐えているのだ。 男性自身も、うまくいかないとのちのちまで軽んじられるため必死なのだと。
この話を友人に話した。
『アフリカは今でも暗黒大陸だよ。 今世紀ですべてが解決できるほど簡単なことではない。 おまえが1日、2日で変えられるところではないよ。』
哀しいけども、実際その通りだと思う。 彼は私がこの分野にガッツリ入りこんでしまうことをちょっと心配していた言葉だった。
貧困、民族紛争、戦争、犯罪、政治、経済、エイズ、厄病、教育、 何もかもが絶望的に絡まりあい、アフリカの子供たちは、たとえ生き延びたとしても、違う問題に次々へと直面していく。
女性の未来はもっと暗く危険にさらされている。 この本には、さらにアフリカの子供たちが直面してる、もっと複雑な問題が書かれていて、私は本当に空虚な気持ちなるとはまさにこのことか、と通勤電車の中で何度も本から顔を上げた。
次は、この女性性器切除の世界的廃絶運動について書いてみます。
次へ続く
女性割礼
2008年
06月
20日
(金)
|
編集
女性の一番感じるところを切ってしまうんだよ。
一晩で7~8回もするから女性が感じすぎると疲れるからね。
この衝撃的な言葉を聞いたとき、一瞬、わが耳を疑った。 エジプトの砂漠でキャンプをした夜。
その砂漠ツアーは私と日本人男性2人と、韓国人男性1人、そして砂漠の民と呼ばれるベドウィンの男性3人がいた。
空には星座が分からないほどのキラキラ光る星空。みんなで炎を囲みながらキャンプファイヤーをして火の暖かさを感じる。お茶を飲みながら、同い年くらいの私達、歌ったり、笑ったり、国境を越えた修学旅行のよう。
たくさん笑っていた私たちだったけど、ベドウィンの彼が言った一言でその火の暖かみも感じなくなった。
昔、聞いたことがある。
女性割礼。
女性の感じるところを切ってしまうって?
どういうこと??
私は思わず、彼らに質問を投げつけた。
『ええ?切るってなんで切っちゃうの??』
切るって、あの部分ことだよね?
『だって、一晩に7回も8回も行為をするからさ、女性があまりに感じすぎると疲れちゃうでしょ? 』
絶句。 言葉につまる。 英語が理解できない日本人旅人2人に日本語で説明する。
『ええーー??!』
彼らからも驚嘆の悲鳴に近い声があがった。
『だって、感じるってそれは、人間として当然の生理現象じゃない? 性行為なんて片方だけの意思でするものじゃないし、女性だってしたくないときあるし』
女性の権利、主張はどうなるの?
感じすぎるから切る、って、それっておかしい!
『それと、結婚する男性だけと行為をするためだよ』
『そんなん、相手が疲れたら性行為は終わりだよ。 女性にとって楽しくもなんとも無くなるじゃない』
そして気が付く。
女性の人権? 女性の意見? 女性の主張?
そんなんこの世界には関係ない。 男性至上主義の世界。
あまりに興奮して、思わず身を乗り出してベドウィンのガイドとしゃべる私の姿を見て、日本人2人もただならぬ会話をしていることを察する。
説明をする。
先進国と呼ばれるニッポンから来た一介の独身女性がここ、サハラ砂漠のこのホンの1つの場所で、満点の星空の下、
『そんなん女性はモノじゃないんだよ!意思のある人間なのに、男性のセックスドールみたいな扱いしてヒドい!』
ベドウィンのオトコたちは笑っているだけ。
こんなん私がここで騒いでいようと、まさにサハラ砂漠に一握りの黒い砂をまいてもまったく変わらないのと同じようなこと。
何もまったく変わらない。
あまりに衝撃的なことを直接聞き、私は急いで忘れないうちにメモをした。
そしてニッポンに帰ってからネットで調べたり、本を読んだ。
実際、今とてもアフリカに興味があります。 次の旅の前にある程度の数字的知識を入れておきたい。そこには私が今まで想像をしたこともなかった女性割礼の実態について詳細に書いてありました。
かなり内容があるので、続きはいくつかの記事に分けて書きたいと思います。 先に1つ言うと、これはイスラム教オリジナルの習慣ではありません。
先に結論を言うと、本書いわく、
【 ある時代にはじまった処女信仰が、アフリカのイスラムの浸透と共に広がり、さらに土着の慣習となって宗教を越えて根付いたのではないか 】
著者は言っています。
実際、イスラム法学関連の書の中で、預言者ムハンマドが女性割礼を受け入れるような解釈をしているものもあり、だからイスラム信仰と共に広まったのかもしれない。
一方、同じイスラム圏でも実施していない地域もあるし、反対にアフリカ大陸ではキリスト教、コプト教、ユダヤ教(エチオピアの一部) でも実施しているという。
割礼(切り方)でもいろいろとあり、その前に驚いたのがあんだけ普通によく見かけたエジプト人の女性でも90%以上の人がこの処置を受けている。
アフリカのある地域は、女性の性器自体を全部取って、皮膚は引きつれ、そこに小さい穴が2こ開いているだけ、と。
読んでいて倒れそうになる。
最近では野蛮な行為として廃止運動も高まってきているけども、女性自身には被害者意識はあまりないということで、最近いろいろと調べたりしたので、次にその現状とかを書きたいと思います。
女性割礼の真実 へ続く
一晩で7~8回もするから女性が感じすぎると疲れるからね。
この衝撃的な言葉を聞いたとき、一瞬、わが耳を疑った。 エジプトの砂漠でキャンプをした夜。
その砂漠ツアーは私と日本人男性2人と、韓国人男性1人、そして砂漠の民と呼ばれるベドウィンの男性3人がいた。
空には星座が分からないほどのキラキラ光る星空。みんなで炎を囲みながらキャンプファイヤーをして火の暖かさを感じる。お茶を飲みながら、同い年くらいの私達、歌ったり、笑ったり、国境を越えた修学旅行のよう。
たくさん笑っていた私たちだったけど、ベドウィンの彼が言った一言でその火の暖かみも感じなくなった。
昔、聞いたことがある。
女性割礼。
女性の感じるところを切ってしまうって?
どういうこと??
私は思わず、彼らに質問を投げつけた。
『ええ?切るってなんで切っちゃうの??』
切るって、あの部分ことだよね?
『だって、一晩に7回も8回も行為をするからさ、女性があまりに感じすぎると疲れちゃうでしょ? 』
絶句。 言葉につまる。 英語が理解できない日本人旅人2人に日本語で説明する。
『ええーー??!』
彼らからも驚嘆の悲鳴に近い声があがった。
『だって、感じるってそれは、人間として当然の生理現象じゃない? 性行為なんて片方だけの意思でするものじゃないし、女性だってしたくないときあるし』
女性の権利、主張はどうなるの?
感じすぎるから切る、って、それっておかしい!
『それと、結婚する男性だけと行為をするためだよ』
『そんなん、相手が疲れたら性行為は終わりだよ。 女性にとって楽しくもなんとも無くなるじゃない』
そして気が付く。
女性の人権? 女性の意見? 女性の主張?
そんなんこの世界には関係ない。 男性至上主義の世界。
あまりに興奮して、思わず身を乗り出してベドウィンのガイドとしゃべる私の姿を見て、日本人2人もただならぬ会話をしていることを察する。
説明をする。
先進国と呼ばれるニッポンから来た一介の独身女性がここ、サハラ砂漠のこのホンの1つの場所で、満点の星空の下、
『そんなん女性はモノじゃないんだよ!意思のある人間なのに、男性のセックスドールみたいな扱いしてヒドい!』
ベドウィンのオトコたちは笑っているだけ。
こんなん私がここで騒いでいようと、まさにサハラ砂漠に一握りの黒い砂をまいてもまったく変わらないのと同じようなこと。
何もまったく変わらない。
あまりに衝撃的なことを直接聞き、私は急いで忘れないうちにメモをした。
そしてニッポンに帰ってからネットで調べたり、本を読んだ。
子どもたちのアフリカ―“忘れられた大陸”に希望の架け橋を (2005/04) 石 弘之 商品詳細を見る |
実際、今とてもアフリカに興味があります。 次の旅の前にある程度の数字的知識を入れておきたい。そこには私が今まで想像をしたこともなかった女性割礼の実態について詳細に書いてありました。
かなり内容があるので、続きはいくつかの記事に分けて書きたいと思います。 先に1つ言うと、これはイスラム教オリジナルの習慣ではありません。
先に結論を言うと、本書いわく、
【 ある時代にはじまった処女信仰が、アフリカのイスラムの浸透と共に広がり、さらに土着の慣習となって宗教を越えて根付いたのではないか 】
著者は言っています。
実際、イスラム法学関連の書の中で、預言者ムハンマドが女性割礼を受け入れるような解釈をしているものもあり、だからイスラム信仰と共に広まったのかもしれない。
一方、同じイスラム圏でも実施していない地域もあるし、反対にアフリカ大陸ではキリスト教、コプト教、ユダヤ教(エチオピアの一部) でも実施しているという。
割礼(切り方)でもいろいろとあり、その前に驚いたのがあんだけ普通によく見かけたエジプト人の女性でも90%以上の人がこの処置を受けている。
アフリカのある地域は、女性の性器自体を全部取って、皮膚は引きつれ、そこに小さい穴が2こ開いているだけ、と。
読んでいて倒れそうになる。
最近では野蛮な行為として廃止運動も高まってきているけども、女性自身には被害者意識はあまりないということで、最近いろいろと調べたりしたので、次にその現状とかを書きたいと思います。
女性割礼の真実 へ続く