[ HOME ]   

スポンサーサイト

--年 --月 --日 (--) | 編集
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

シリアの妖怪

2010年 05月 18日 (火) | 編集
喉が渇いた。 

2階のバルコニーが出ているお店で、シーシャを吸いながらバックギャモンをしている人たちが見える。
(シーシャ:アラブの水タバコ、 バックギャモン:アラブのボードゲーム)


シリアの北にある宿で友達になったオーストラリア人オトコのスティーブとアテクシはそこでお茶を飲もうとお店に入る。 

『あのバルコニーでオイラもお茶飲みたい!!』

おっさん、じろじろとガン見。 まぁ、見るのはいーけど、アテクシはあの、バルコニーで茶したいのよ!

下を見下ろしながら午後ティー・・・ 案内された席は曇りガラスの、窓も開いていない温室ハウスのような部屋。



あぁ、イスラム、男女が公に茶は飲めないってか。女性、外国人はイケてない部屋で裏方なのね。

さっきのチャイのお店はアテクシでも男性と同じところで飲めたのに!



ここはシリアの首都、ダマスカス。 
4000年の歴史を持つ古い町。 物価の超安いこの国は人々は温かいし、ご飯はウマい。
アテクシ的には文句無しで楽しんでいた。


オーストラリア人オトコのスティーブとはシリアとトルコの国境の町、アレッポで出会いそのまま共にシリアを南下中。

彼はオーストラリアで元海軍、その後弁護士資格を取得して弁護士として働いた後、世界一周をしていた35歳であった。



ダマスカスに着いて宿にチェックインをする。 ったく、どの宿もシリアの中では一番高い!!  700円もするなんてっっ!!


『マジでこのバックパック、捨てたいんだけど!!!!』


旅をしている人なら間違いなく何度も心が折れそうになることのひとつ、 荷物が重くてマジで捨てたろか!!!!

もう1mも歩けないよ。 受付までの5mが遥かかなたにかすんで見えるのよ。 肩が痛くて頭痛がするわ… イヤ、バックパックは高性能の使ってるのよ。 

ただ 使ってる本人が低機能じゃ意味がない。


それでよく旅人していると我ながら思う。


これで宿が満室だったらまた往復10m歩くのか・・・ ここで余計な体力は使えねぇ!!!
バックパック以上の荷物と化したアテクシを見るに見かねてスティーブが奥の受付へ。 アテクシは宿先で座り込む。


『今夜はホットシャワーがちゃんと出ますように!』


出なかったけど。



外はジリジリと照りつける砂埃の舞う路地でも、一度通路に入れば風が心地よい。
中庭が吹き抜けになっているため、私が座っていたところは風の通り道になっていて。
異国にいることをフッと思い出すとき、その場所が永遠となって胸に焼きつく。


受付手前のイスに座りながら、重い首を持ち上げた、その瞬間である。



予想外の胸の焼き付きが!!



シリアはイスラム教色の濃い国で、女性は完全防備をして徹底している。 
トルコとかインドネシア、エジプト、モロッコなんぞカラフルなスカーフをして髪の毛を隠したりしているけども、シリア、イラン、イエメンなんぞは手袋までして目さえ見えない女性も多い。


そんな中でスゴイ笑劇アワー開催!

cha.jpg



シャネルってイスラム女性用の衣装、作っているんだ?! そーなのかぁ~! しらなかtt・・・



しかしなんかおかしくね??



【チェックポイント】

1. シャネル?ロゴ 3連発

2. シャネル?スペル (どうしたらこうなる?)

3. フェンディ?ロゴ (ってか、カバンぺらぺら?)


特に、シャネル、いや、シャニールロゴの細かいところ、ほつれているんですけど!!! チョロチョロと。

もしかして大富豪か?とも思えるけど、ここ、1泊700円だし!




リアルミステリーハンターはすぐさまカバンからカメラを取り出す。 しかし、イスラム女性だ。 堂々と撮影することはできない。

彼女たちは写真に撮られるのを極端にイヤがるし、これは文化だから、アテクシもそれを無視できない。

さらに気まずいことに、シャニール旦那がスティーブの横でチェックインをしようとしているのだ。


『撮りたい!撮りたい!撮らねば!』


隠し撮りを強行。 

この笑撃的写真の撮影に成功したのである。


モニターを見ず、望遠にして何枚か撮ったらやっと1枚、まともなのが撮れていた。グッジョブ、自分。

ちなみに偶然、ゲーハーな旦那も写真に収まっていた。



この町一番の笑いであったのであるが、彼女の顔も見てみたい。 

女性の顔をジロジロ見ることもはばかれるしなぁ・・・。


その後、笑いの女神はまたしてもアテクシに微笑む。



夜になってトイレに行った。1つのトイレを数部屋の人たちで使う。

取っ手に手を伸ばした瞬間、こちら側に扉が開く。


『エクスキューズ ミィイイィィ~~~~???!!』



でた、シリアの妖怪! シャニーール!!!



妖怪?! イヤ、魔女?? ちがう、三輪明宏!! 

ここまでのイスラム女性は見たことがなかった。 
紫のシャドーをまぶたにペンキのごとくベットリ塗って、真っ赤な口紅とチークで、オトコが化粧したようなそんな感じで、汗でてかってて、でも彼女はアテクシにニッコリ笑ってくれたのだった。


『いいやつじゃないか・・・』

トイレの中は化粧くさいけど。



隠し撮りをして心苦しい。 嗚呼、あなたのそのがんばりっぷりをアテクシはシッカリ、極東ニッポン国民にシッカリ伝えるべく、尽力をつくしたいと思います。


前職場のお疲れ様会幹事、大学ゼミの同窓会幹事、
サマソニチケ手配、週末の友人誕生会幹事、
友人誕生会セッティングとか、アテクシがんばれw

↓↓           ↓↓

人気ブログランキングへ   にほんブログ村 旅行ブログ 海外旅行へ
スポンサーサイト

シナイ山で出会った

2008年 12月 19日 (金) | 編集
そもそも冷静に考えたらわかることだった。


数メートル先に何があるか良く見えない闇。

足元不安定な岩肌。

シッカリ歩ける頂上に続く道に人々が連なり。



信仰深いジ様とバ様は歩けないよね、いくら聖なる山でも自分の足で登れないよね。


大量のラクダと客引きが作り出す大渋滞スペクタクル。 
  
    どこもかしこもラクダくせーー!


客の横を歩くラクダと、客引きに失敗して下山するラクダとケンカしながら山を登る。
  
     ちょっと負けないわよ!! 先歩くのアテクシよ!!




エジプトのシナイ半島にある、聖地シナイ山。預言者モーセが神から十戒を授かったと言われる山。

聖歌やキャンドルを手に人々は歩く。ラクダのおケツを目の前に、尻尾に頬をパシパシされるのに気をつける。 ただし、ンコを踏むのは避けられない。


時間は夜中の2時を過ぎたところ。 ラクダの客引きと格闘しながら、アテクシは山を登り続けた。


前回の続きです。 こちら からお読み下さい!


    ◆    ◆    ◆    ◆


漆黒の空にどこまでも小さい星が見える夜。見上げると偶然見つけられる流れ星はもはや偶然ではない。遠くから歌声が聞こえ、歩いてきた下を見ればどこかの人々が光のラインを作っている。


『キャメル~~ ノラナーイ?』

『だからいいっつってんじゃん!!!』

『ヤスイヨ~~』

『アテクシは自分の足で歩くのよーー!!』


ゼェゼェ… く、苦しい・・ おいてけぼりか。 のび太はいつもこんな気持ちなんだろうな、と思いを馳せる。


普段から山を登らないアテクシがいくら聖山といえども信仰もないわけで、しかも欧米からのジ様とバ様はラクダに乗ってどんどん先に進むのだ。

『早く頂上イキタイワネ~~ オホホ~~!』

     おめーら! 自分の足で登って信仰心高めようっちゅー思いはないんか!!



聖なる山を登りながら心がすさむアテクシ。


『ちょこぼさん、 水1本持ちますよ』

旅友ヒー君の言葉に神をみた。




CIMG3550.jpg

     ↑ 下山するとき太陽が昇ってわかったんだけど、こんなところを登ってたらしい。



『ヨシ! アテクシがんばるわよ!!』

ふふっ。100均で買った懐中電灯、コレ、今回の旅で役立っているんだもんね~。 アテクシはバックパックからそれを取り出した。

トルコの安宿でシャワールームの電気がぶっ壊れてたとき、これがどんだけ役に立ったことか。 ペンライト式ではない、筒型で壁掛けもできる万能タイプなのよね。 フフ。


足元は暗い。



秘密兵器 スイッチオーーーーン!!




・・・・・・。


ポチッ


アテクシはライトを消した。


立ち止まる。



・・・・・・。



いや。わかってはいたんだけど。


やっぱアテクシも女の子なワケですよ。



そりゃエジプトの砂漠、乾燥していたから良かったかもしれないが、



どこをみてもラクダのンコだらけじゃないか!!!!

どんだけの試練の山だ!!!!



先進国の馬車のオケツにあるンコ袋みたいな気の利いたものはない。ここは自然だ。アテクシたちも自然を受け入れなければなるまい。 そうか。 人間とことんまでイケば何事も受け入れられるようになるってことなのね。



アテクシはンコロードを進む。


・・・。



ム、ムリです!!!!


あのなめらかソフトな感触がやっぱり慣れません!!!



祈りながら山を登る?? ハイ? アテクシそんな寝ぼけたこと言ったっけ?? 現実を見なさいっ、現実をっっ!! ザメハッ!!



『ラクダに乗ります!!!』


旅友ヒー君は歩くと言う。 しかしここからが本当の試練が始まる。

長く厳しく終わりなき客引きとの値段交渉。 アラブ商人はカタコトの英語でこちらの空気を察してかラクダに乗りたいオーラを放つアテクシのところにやってきた。


『キャメル~~ 50ポンドー(1,000円)』

『キャメル~  60ポンドー(1,200円)』




たけーー!! たけーー!!! どこもたけぇーーー!!!


アテクシの1週間分の宿泊代が1回のラクダで飛ぶのか??! イヤ! それはムリ!! でも、、でも・・・ ンコもムリ!!!


『キャメル 35ポンド(700円)』


相場の中でダントツ安い価格を言ってきたオヤジがいた。


『え? マジで? 35ポンド?』

『イイヨ。ちゃんと最後までイクヨ』

旅友ヒー君と顔を見合わせる。こいつ、安いこと言ってるけどホントに大丈夫なの? 途中ルート外れて、岩陰に隠れた悪者登場で、そんでもってアーレーなことになったりしないよね??


『オレ、一緒に下を歩きますから、大丈夫っすよ!』

アテクシはその安いラクダに乗ることにした。


背の高いラクダが立ち上がった。 後ろ足を伸ばしてから前足を伸ばすのに合わせ、アテクシも体重移動をする。


『ア…』


そして次の瞬間、アテクシは旅をしていると必ずぶつかる気持ちに、どうしていいかわからなくなった。



子供だ。子供がオヤジの後ろから現われた。

オヤジの子供がラクダを引くのだ。

だから他のラクダ引きより価格が安かった。




旅をしていて、何度こういう場面に出くわしたか。


アテクシたちは価格の安い方を選びたい。同じサービスならば安い方がいい。

でも子供だ。太陽の沈んだこの夜中に、寒い山をラクダを引いて登ってきた。 子供が引くからラクダは安い。




どうしよう。



たとえここでアテクシが乗らなくても彼らは次の客のところへ行くだろうし。

これは彼らにとっては食って行くための仕事。金が必要なのだ。

子供がラクダを引いてここまで来たのに客にありつけなかったら、彼の仕事の意味がない。



それでも、 それでも… 


   子供がアタマにヘッドライトをつけてラクダを引っ張る、その上にアテクシは乗るのか。



・・・。


そしてアテクシはラクダに乗った。


途中ラクダや人が休憩できる場所についた。頂上には最後、自然の石で出来た大きな階段(自然の岩)をよじ登る形で行かなくてはいけない。だからラクダとはそこで別れる。

子供はアテクシが乗ったラクダと一緒に、『写真を撮るよ』、のポーズをした。アテクシは写真を撮ってもらい、オヤジに見えないようにチップを渡した。


ここは聖地シナイ山。 キリスト教、イスラム教、ユダヤ教の聖地。そんなこと、アテクシにはどうでもいい。


次に続く



カレンダーは数部ですが今月末に再度ウェブから販売予定です。
こまめにのぞいてみてください。ご迷惑かけてスイマセン。
応援クリックよろしくお願いします^^
↓↓           ↓↓


人気ブログランキングへ   にほんブログ村 旅行ブログ 海外旅行へ

シリアの片隅で

2008年 06月 16日 (月) | 編集
画像が鮮明じゃないのでウェブのPhoto Galleryには入れていませんが、個人的に気に入っている1枚があります。

CIMG3078syria.jpg



シリアとトルコの国境の町アレッポ。 スーク(市場)でブラブラと買い物をした後、奥の出口から出たら道に迷ってしまった。 

中東の町は石造りでできていて、持っていたガイドブックも地図の役目を果たさずただの荷物。 
一緒にいたのはアメリカからの旅人。迷路のように入り組んでいるスークに入ったが最後、帰るにも帰れない。


とりあえず太陽の位置を見ながら東西南北だけはなんとなくわかる。 それでも役立たずの地図を広げていたら、そこに子供が来た。


ジッと私たちを見つめる彼ら。 外国人がめずらしいのかな。 ニコリともしない。 女性と親しく話してはいけない、と教え育てられているのかな。

『えっとね、大きな時計台のある広場に戻りたいの。 道わかる?』

アラブの国は町の中心は広場のようになっていて、そこには時計台があることが多い。 私は英語で話しかけたが、同時に腕時計を指差し、その次に両手をアタマの上で広げて円を描く。

時計が、大きくて、塔になってるの!

幼稚園でのお遊戯のようなジェスチャーで伝えた。 分かってくれているのかな。 子供たちはその私の様子を見ていた。 通じているのか定かではない。

彼らは歩き出した。 何度も振り返る。 来い、と言っているよう。 この際、どこに歩いていいか分からずボンヤリしていたアメリカ人と日本人、今は小さな彼らの手に運命をゆだねるのが一番だろう。 私たちは彼ら小さなガイドにくっついて歩くことにした。

彼らは全然しゃべらない。 ときより、子供たちにくっついて歩く外国人2人の姿を見て、石畳の街中の人々がお店の中から話しかける。

途中でミカンをくれた。 乾燥しているこの国では、1つのミカンがのどを潤すに時間はかからない。

パンをもらった。 フカフカの焼き立てパンだ。 顔の大きさくらいある、薄焼きパン。

そんな人々に ありがとう! と日本語で言ってお辞儀をすると、彼らもすごく喜んでくれる。日本の言葉とお辞儀は私がいろいろな国に行った中でも、とても喜ばれる動作の1つだ。


子供たちと多分2時間くらい歩いただろう。 なんだか見覚えのある広場が見えてきた。 長い冒険を終えて晴れ晴れと戻ってきた感覚だ。

見知らぬ街を探検して、宝物探しのように人と出会う。 見たことがない店を覗いてきた。 そのたびに子供たちは立ち止まって時間をくれ、お店の人と話していた。

小さなガイドは決して私たちにフレンドリーというわけではなかったけど、その彼らの静かにヒッソリとした瞳が好きだった。 

思い入れのある1枚です。

アウシュビッツからの生還者と会う

2008年 05月 05日 (月) | 編集
世界遺産の中には 『負の世界遺産』 と呼ばれるものがいくつかある。 有名なところでいうと、

・アウシュヴィッツ-ビルケナウ、ナチス・ドイツの強制・絶滅収容所

 → ナチス強制収容所、ユダヤ人が100万人以上虐殺された

 
・広島原爆ドーム

 → 十数万の死者を出した人類初の核兵器の跡


・ゴレ島(セネガル)

 → 数百万人がアフリカから中南米へ奴隷として送られた奴隷貿易の拠点



があり、たとえば、アウシュビッツは、

「人道に反して犯されたもっとも重要な罪を具体的に記録する例」

として、これらを保全することにより、私たちは世界平和を維持していかなくてはいけないということ。


私は残念ながらアウシュビッツには行ったことがなく、それで旅中に出会った日本人でアウシュビッツに行った人に話を聞くと、みな、同様な感想を言って来るのが、その恐ろしさを物語っていた。

多くが言うのは 『感情がなくなった』 と言うこと。違う友人は 『ワケ分からなくなった』 そんなことを口にしていた。

ここはいつか私も訪れなくてはいけない、と思っている。



旅をしていると、普通に日本で生活をしていたら見たり聞いたりできなかったことを生で自分が聞けることがあり、だから海外に出ることは大切と思っています。


旅中にシティにステイするときは、博物館や公園で過ごすことが多く、数日したらたいていはシティから離れる私。 でも、オーストラリアに行ったとき、シドニーにある、あるところへ行きたくて、1日時間を取った。


ユダヤ人博物館


ユダヤ人の歴史を知ったのは中学生のときにアンネの日記を読んでから。


シドニーに行く4ヶ月前に、カナダのトロントに住む友人けいちゃんに会いに行った。ボーイフレンドがユダヤ人なので、ハヌカと呼ばれるユダヤ教のクリスマスのようなお祝いに参加させてくれたりしてから、知識だけの存在から、知るべき存在へと変わっていた。


歩いて博物館へ行く。入口へ入ろうとしたら

『招待状持ってきていますか?』

と言われた。


え?? 招待状なかったら入れないの?

私 『いや、持ってないです・・・ここ、ユダヤ博物館?ですよね?』

あれ?入口間違えたのかな?

女性 『そうなの。でも今日は○○のパーティがあって(スイマセン、英語理解できず)、ゲストがたくさん来ているから、あまり一般人はいないのだけど、それでも良ければゲストとしてwelcomeよ!』

その日、何かのパーティだかをしてて、確かに1階にはイスが並べられ準備が進んでいる。私は入館者リストに名前を書いて入館した。 真ん中が吹き抜けになっていて、4階までフロアがある。その博物館では、そのアウシュビッツで亡くなった人たちの大量の写真、当時の様子、新聞がたくさんおいてあった。


ボロボロの当時の服、毛髪でできた毛布、壊れたメガネ、毒ガスの空き缶。

大きなパネルを見ながら、そして白黒の映像を見ながらその場で倒れそうになる。

理解ができない。何がここで起こっていたの?なんで?これは何のために??

3階ほど登ったら、ある部屋には、大人の写真がズラーっと並んでおり、それを見ながら、彼らがどうやって亡くなったのか、家族はどうしたのだろうとか、今はただの写真だけど、その裏にはどれだけの涙があるのか、と思うとやりきれなかった。

奥に歩く。 ちょっと雰囲気の違う部屋があった。足を踏み入れる。 ダレもいなくて私、1人だった。そこは薄暗い部屋。長細く、入口と出口がこちらとあちら側にある。

今までの部屋よりもエアコンが効いているのか肌寒い。

そこにも写真が並べられていたのだが、



声を失った。




すべてそれらは子供たちの写真。

子供 子供 子供 子供・・・・・・・

四方から子供たちが私を見下ろしている。笑顔であったり、あどけない顔をして私を見ている。 ブロンズでできた山のオブジェがあった。それらはよく見ると、すべて、小さい靴でできた山だった。


真ん中に黒くて大きな丸い石のオブジェがある。 そこにだけ光が当たっている。オブジェの上には小さい水たまりができており、そして天井から水が1滴ずつ、

ポターーーン ・・・   


ポターーーン ・・・

と落ち、薄暗い部屋の中に響き渡る。ものすごく怖い。説明書きを読んだ。

『これは子供たちの涙です。彼らは今でも涙を流しているのです』

涙が止まらなかった。 本当に吐きそうになった。



下でパーティが始まったらしい。私みたく、ユダヤ人ではない人間が興味本位で参加してもいいものなのか。こんな歴史を背負っている彼らに、どう向き合っていいかわからず一瞬、躊躇した。 私は吹き抜けになっているフロアの2階まで降り、そこから下のフロアを覗き込んだ。多くの人々がイスに座っている。


司会の女性が誰かを紹介する。

司会 『それでは本日は、このご本の著者であります、Mr.○○○ に講演していただきます。』

そう彼女は言った。なんと、紹介されたこの男性、あのアウシュビッツの収容所から奇跡的に生還できた1人だというのだ。この人が・・・ 今、目の前にいるこの人は・・・ あの地獄から生きて帰って来れたんだ。

収容所が開放されたとき、数千人しか残っていなかったのだが、この人はその中の1人なんだ!

もう80歳近いご老人。 シドニーには2人、アウシュビッツから生還された方がいるらしく、彼はその1人とのこと。今回、本を出したらしく、今回ゲストとして招待されていたようだ。

講演が始まった。 私も思わず傍聴している。

多くの収容者たちは、こっちで仕事があるから、と言われ連れて行かれ、そのまま戻ることはなかった話、少しでもしゃべっていようものなら、その場で銃殺された話、とにかく飢餓がヒドくて、収容所の中でもユダヤ人同士で奪い合いが起こった話。

生きて生還した後でも、自分の家はすでに違う人が住んでいて、自分の戻る場所も無かった彼。約1時間の講演、最後の30分は涙が止まらなかった。

そして彼は言う。

『この歴史を忘れず、私達が受けてきたこの悲劇を胸に抱き続けることがユダヤ人にとって大事なことだ』

と。そうなんだ、彼らにしたら、聖書、習慣、神の存在と同様、歴史の一幕に起こったホロコーストまでもが、彼らのアイデンティティの一つになっているんだ、彼らユダヤ人、と呼ばれる人たちの一幕を見た気がした。

私は第二次世界大戦を経験していない。ユダヤ人の過酷な歴史も、ただの知識程度にしか知らなかった。 旅をしていると、こういう出来事がときにあり、時間と空間を越えて、一生忘れられない記憶を残し、それは大事な私の核となる。 彼に出会えたことを私は一生忘れないだろう。


博物館を出るとき彼と握手をした。キレイな目をしたご老人。私は彼が生きて帰ってきてくれたことが心からうれしかった。



ヨルダン男の求婚

2008年 04月 21日 (月) | 編集
ヨルダンの首都アンマンからバス4時間待ち+4時間移動を経て、世界遺産ペトラ遺跡を見た。そこで出会ったオランダ人かっぽーと一緒にピックアップトラックのタクシーに乗って、港町アカバへ移動する。いよいよ港町も見えてきた!

前の記事の続きです。 前回はこちら。


ヨルダンのアカバ港は貿易の盛んな港町なので、かなり開けているところ。ダイビングスポットもあったり、港町らしく物価も上がると聞いていた。西日をガンガン浴びてだんだんと車内が蒸し風呂になってくる。車内、サウナ状態。


運ちゃん 『ペトラは海抜が高いけど、アカバはかなり低いからこの辺はペトラよりも暑いんだよね~』

運ちゃん笑っているけど

じゃぁ、クーラー入れてくれ!!!!!


もちろん壊れて使えず(アラビー世界、よくある話)。



同乗していたオランダから来ていたユダヤ人かっぽーはイスラエルに住んでいるので私とは違うところで降りる。アカバはイスラエルとエジプトへ越境ができるボーダーがあるのだ。昨日、一日かけてペトラ遺跡を回りたくさん話した私たち。別れ際にバックパックに入れていた日本からの土産のさるぼぼの人形をあげたら2人ともすごく喜んでくれて、

『あなたのような日本人にはアムステルダムでも会ったことないわ! ぜひ結婚式に来て欲しい!!』

と本気で言ってくれた。 もちろん後に行けなかったけども、その代わり後日、日本からウェディングカードを送りました。
さて、イスラエルのボーダーでオランダ人かっぽーを降ろしたタクシー運ちゃん。太陽もそろそろ傾きかけ夕暮れとなり、入り江も赤く染まってきた。


運ちゃん 『前あいたからこっち移動したら?』



カーン! 




    カーーン!!

  

         カーーーン!!!




(警戒警報鳴り始める)


私 『・・・。』 


後ろのシートに座っていた私。 カーーー・・・ 前に行くとややこしーこととかになりそうな予感がする。アラブオトコのセクハラ、結婚ネタ、ボーイフレンドいるの詰問等々の経験が甦る・・・ でもお茶もゴチソウしてくれていい人だったしなぁ。それで前のシートに座っていると運ちゃん話しかけてくる。 私からはあまりリアクションを返さないでいた。

私 『このガイドに載っている○○っていう安宿に行きたいんだ』

運ちゃん 『OK!お勧めもあるけど、そっちでいいんだね?』

港町アカバは一気に宿代も上がるし、もうヨルダンの現金もあまり残っておらずムダに使いたくなかった私。 タクシーを走らせる。そしてここで数ヶ月、アラビア半島を旅ってて何度聞かれたか知れない言葉を、案の定言ってきた運ちゃん。

運ちゃん 『・・・。 キミは本当、美人だよね。』

ハイハイ、キタキタ、お決まり文句。もう旅で何度聞いた言葉か知れず。 どこに言っても言ってくる男性陣。これは決して私が美人だ、ということを言っているのではない、満遍なく多くの女性旅人は言われている言葉だ。

私 『・・・。』 

反応を返さない私。運転しながらチラ見をする運ちゃん。 完全に窓の外に顔を向ける私。そしたら突然運ちゃん、ガツッと私の手をにぎってきた。


イスラム世界でこれがどんだけのセクハラか!!!!!!

私 『Don't touch me!! さわらないでよ!!』

静かにキレる私。 手を思いっきり振りほどく。ハァ~~~~~ もぉーせっかくいい運ちゃんと思っていたのにどうして最後の最後にこうなるわけ???? しかしここで大げさにキレて、タクシー降ろされたりしたらそれはそれで困る。

運ちゃん 『sorry・・・』

シーーン、静かな車内。 運ちゃんおもむろに言葉を発する。

運ちゃん 『僕が結婚を申し込んだら結婚してくれる?』


ハ? 結婚?? ってか、第2婦人ですか??? イスラム教では多妻制を認めている。でも最近では多妻な男性は少ないらしい。なぜなら実際相当な金を持っていないと難しいからだ。 すべての嫁さんは平等に扱わなきゃいけないので、もし嫁さんにクルマを買ったら同じように他の嫁さんにもしなきゃいけないし、平等に愛さなくてはいけない。


私 『結婚って。 それはできないよ。』

だんだん疲れてくる私。 どこまで本気かわからないが冷静にコトを判別してしてくれ、いい大人なのだから・・。

運ちゃん 『僕はお金もあるし、キミはここで働かなくても暮らせるんだよ?』

私 『私、ヨルダンには旅できているわけで、これからまだまだ旅も続けるし、それに結婚って全然考えてないから』

とりあえずこころで強制下車されても困るので、ヤンワリとハッキリ断る。しかし顔は完全 NO の鬼の形相をしていた私。第二婦人? 黒い覆面して? 男性の所有物になれと?


ソラーーームリーーー!!!!!

運ちゃん黙る。

そしたら運ちゃん、上を向き始めた。 ええ?今度はナニ???


運ちゃんの方に顔を向けたら、




運ちゃん、鼻血を出してた。



私 『どうしたの?大丈夫?』

上を向きながらタオルで止血をしている運ちゃんを見る。ちょっと!おっさんが鼻血を出しているところなんて初めて見たわよ!ドリフ以来よ!

運ちゃん 『よくあることだから』

ハァ? しょっちゅう鼻血ですか????

この人、のぼせているのかなんだか知らないけど、もう面倒になってきた。それ以後、一切話しをしなかった。


アカバの町に着いた。 久しぶりに見た海。あ~~ 落ち着く!


運ちゃんが有名な安宿がある、ということで最初そこに連れて行ってくれて、アラビア語でディスカウント交渉をしてくれていたらしいが(多分紹介すれば運ちゃんにキャッシュバックが入るんだろうけど)、思っていた以上に高かったので諦める。それで私のリクエストの違う安宿の近くまで走ってもらい、そこでタクシーを降りた。



猛烈暑いアカバの狭い商店街のようなところを抜けてお目当ての宿に着いてチェックインをしようとした。

『ちょっと待って』

とデスクで言われたきり、アラブ人オトコはそのまま友達らしき人と笑いながらしゃべっている。


プチーーーン。 

タクシーの中でヒト騒動もあったことで、私、結構イラついていた。それでそのままその宿を出て、先ほど運ちゃんが連れて行ってくれた最初の宿に歩いた。すると宿のおっちゃん、もう少しディスカウントしてくれてようやくチェックイン。 ベッドが2つあって扇風機もTVもある部屋だった。 


相当久しぶりの1人部屋だ。 今までドミトリーと呼ばれる相部屋だったため、まずはここぞとばかりに洗濯したり、シャワって水浴びて、ベッドに横になる。しかし本当に暑くてたまらない。部屋の石壁が熱を持っている状態。遠赤外線サウナである。窓を開けても熱風、室内はサウナ。ベッドに寝ていると汗をかいてくる。扇風機があるだけマシなリッチな部屋だなぁ。
ああ、今夜は久しぶりにアジア料理が食べたいと思って、それで中華でも行こうと思っていた。


下のラウンジに階段を下りる。


そこで・・・ 驚いた。


前の宿のペトラで出会ったアメリカ人旅人2人がちょうどチェックインをしているじゃないか!!!!! 階段を下りた私と目が合う2人。 驚く私たち。そうだ、私たちは昨日、違う宿で夜、一緒にサッカーを見に近くの店まで行っていたのであった。予期せぬ場所で再会である。

私 『今、着いたの?』

アメリカ男A『キミもここだったの?』

すごい奇遇だ。私が持っていた地球の歩き方には載っていない宿に私はたまたまチェックインしてて、それでたまたま階段を下りたらそこに、あの2人がたまたまいたなんて! アカバは安宿街というものがなく、結構散らばってある中でこの宿で再会できたのはとても偶然だ。

私 『今からご飯食べに行こうと思ってて。』

それで結局一緒に行くことになり、 『アラビアンマックを食べよう』 と言うことで、ヨルダンのマクドナルドに行きアカバの夜の町を一緒に歩いた。ちなみにアカバにあったマクドナルドは車でデリバリーをしてくれるらしく、お店の前にマックテイストの軽自動車が止まっていた。日本にあったらかなりの需要があるだろうが、元が取れないであろうけど。

明日は共にエジプトへフェリー移動することになるのだが、これまたスッッゴーーーーーーイ大変な移動となる、嵐の前の静けさのような夜は更けていったのだった。

続く
  [ HOME ]   

明日の地図帳を歩くTOPページ | 著作権について | 個人情報について | credit

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。